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やまま日記8月

1日「35℃をものともしない人だった」

カフェーもだめ、昼寝なんてとんでもない、気がついたら挿し絵を書いていた。

ありがたいことにPVが10を超えていた。10を越えたら、見直しをしようと思っていた矢先に、首を寝違えてしまった。無理はできないから無理なので、無理してやるというのは言語矛盾なので、要するにやりたくてもやれなかった。

今日は、寝てるときも首が痛くなかったし、顔を洗うときに寝違えた手首も気にならなかったし、顔をタオルで拭こうとしたら、首が痛くてタオルで顔を拭いてるのか、顔でタオルを拭いてるのかだったけど、お茶をゆっくり飲むことができた。

「さてっ」と、日記の見直しをしようとしたら、取り掛かるのに苦労した。億劫になっている。どれだけ大変なんだろう。4か月分を見直すって、ハードルが高すぎじゃない?でも、ホントにそこだろうか。

そこじゃなかった。「4月の日記か、どんだけつまらないこと書いてんだろ」と読み直すのがシンドそうだから。「この人、なに書いてるの?ちょーへんな人。ふーん、そうでもないかも~」とか、ツンデレしそうだから。

それも、違うか。

たぶん、これだろう。「10PVってことは10人のお客さんか。ボクはいったいこの人たちにどんな日記を読ませてしまったのだろう?とんでもなく、とんでもなくつまらない思いをさせたかもしれないっ。誤字脱字のオンパレードかもしれないし、意味不明の日本語にあきれかえったかもしれない。なんでボクは、日記なんて書き始めてしまったんだ!」。

とはいえ、見直しは必要だろう。やる気はあるが、出来ない。こういう時は「5分だけとりあえず、やる」か。直さなくてもいい、良くしようとかハードルを上げない。5分、パソコンの前に座ればいい。

見直しを始める。いろいろ気になりますな。はい、5分すぎてます。午前中はずっと直していたかな。休み休みだけど。けっきょく、動き出しが一番、大変ね。逆に、動いたら止めるのが大変。だからなんでも動きゃいいってもんじゃないけど、そこら辺の人情は抑えていて損はないか。

昼になってとりあえず、昼寝を試みる。とてもじゃないけど、寝れない。ときたま、涼しい風が吹くけど、窓から15センチぐらいで温風に変わる。扇風機はとっくに温風機。

カフェーに行くのも億劫。おやつを食べるだけならいいけど、そこそこ重いノートパソコン持って、何もしないで帰ってくるのは、アホらしい。3度目の正直は「ない」。

挿し絵、一枚だけでも書くか。午後2時。キッチンの温度計は35℃。パソコンの前に座る。日記の内容を読む。挿し絵を考える。この「考える」が、はかどらない理由。

転んだなら転んだ絵を描けばいいし、景色がキレイならそれを描けばいい。そのまま描けばいいじゃん。それがつまらない。なにかヒネリというか、思いつきが欲しい。

それにキレイな景色なんて、ここ4ヶ月で出かけたのはバイト先を除けば、地元だけというね。景色もヘチマもない。地元の変化なんて見たくないし、書きたくない。

3つぐらい挿し絵を書いている。相変わらず35℃だし、扇風機は温風だし、汗もかいている。暑いは暑いけど、それどころじゃない。挿し絵、挿し絵、挿し絵。ノリにノッテいないが、楽しい。目の前の作業が、こんなに気持ちと身体に影響するのか。

それでもたぶん、1週間前だったら、熱中症になってただろう。あきらかに、窓から入ってくる風が違う。イヤらしい湿気がないというか。「さわやか」。部屋に入ると温風に変わるけど、湿気がないだけで全然、しのげる。ありがたい。

午後4時。暑さのピークはすぎた。豆でも煮るか。ノートパソコンを閉じる。寝違えた首が固まって痛いけど、気持ちはいい。そこそこ頑張った感がある。

日記も挿し絵も仕事かと言われると、ほぼ、遊びだけど、「日記を書く趣味」も「挿し絵を書く趣味」もないので、仕事だろう。それなりにシンドイけど、面白い仕事だと思う。外はもっとさわやかだろう。さて、本を借り行くか。

MEMO

三個入りのカップもずく。もずくは食べ物だと思ったら、箸を使わずに飲めた。飲み物として見ると、少し抵抗あるな。

PS

そういえば、挿し絵を書いてるときにPVが「1」増えた。それで頑張っちゃったな。35℃です。良い子はマネしないように。

2日「どこまで自然で、どこまでクーポンか」

その見極めは難しい。「クーポンのない人生は……」は、すでにクーポンの手のひらの上。

ほとんどのクーポンは見ないで捨てる。だいたい、いらない商品。いらない商品の値引きクーポンなんて、受け取る時間すらもったいない。

その場で引き換えるクーポンなら、それで終わりだから、いただきます。クーポンとの付き合いはここで終わり。

その場で引き換えられないクーポンが困る。いっそ忘れてしまえばいいが、なかなか忘れない。忘れてしまったら、しまったで、「期限がすぎてるっ」と損した気分で一瞬目の前が暗くなる。気づかずにレジに出して恥をかいたら、踏んだり蹴ったりではないか。

それだけ見ても、あまりいい影響はなさそうだ。それでも目の前の「益」に抗えないのが人情だろう。正確にはもらったことより、うしなうことの方がイヤなのだが。クーポンでもらった商品のことを、後生大事に覚えている人がいるだろうか。

商店街でクーポンをもらう。500円以上買うとスタンプがもらえる。そのスタンプを3個集めると300円引きのクーポンとして使える。いままでいろんなクーポン企画が商店街であったが、すべて参加してない。もちろん、覚えていない。

でもこの企画は「おっ」と思った。同じ店のスタンプはダメ。3店舗それぞれ違う店で500円。楽しそうだ。しかも「300円」のクーポンはかなり、ありがたい。みんなそのようで、「今回が何回目だ?」というぐらい商店街も味をしめて、この企画を連発している。

気がついたら二つ、たまっていた。ドラッグストアとカレー屋さん。あと1店舗。ここまで自然といっていいだろう。問題はココからだ。商店街で500円を買う予定が、ない。なかったよな。この「なかったよな」は、すでに自然ではないだろう。

でもパン屋さんは行くよな。クーポンもらってなかったら行ってたか? スタンプが2個だったら、パン屋さんのことなんて考えないだろう。この逡巡が自然でないのは確か。

パン屋さんへ行く、という選択。クーポンもらってなくても行くようなリアリティもあるといえば、ある。実際、昼ご飯の予定が開いているではないか。

クーポンがなくてもパン屋さんに行っていた可能性が高い。クーポンは関係ない。財布を持って出かけようとする。「あ、クーポン」と後ろめたさを覚えながらクーポンをポケットに入れる。

なるほど、パン屋さんには行ったかもしれない。クーポンを手にした時点で、その自然な未来は失われてしまったのだ。「あ、クーポン」といい、買いに行くまでの言い訳劇場といい、クーポンというのは、なかなかの罪作りな奴だな、と、関心はしないが、難敵なのは確か。

うまく使えば味方だろうが、やはりいらないといえば、いらない。クーポンはどこから来て、どこへ行くのか。クーポンが乱れ飛ぶ世の中で、振り回されないでいる自信はない。

MEMO

クーポンのための買い物。買わなかったら0円では?300円のクーポンのために500円の買い物は妥当か?

PS

クーポンをどの店で使うか。けっきょく、スタンプを押してもらった店のどれかになるだろう。マッチポンプ?

3日「同郷のバイトの子」

まだ21歳。この子が生まれる前に地元を離れたから、もはや同郷といえるか。

聞いてみると、「市」だけじゃなくて「区」まで同じらしい。といって何の親近感も覚えない。「〇〇の近く?」とか聞いてもことごとく知らない。その子も「〇〇って知ってます?」と聞いてくるが、ことごとく知らない。

かみ合わないのは地名だけか。

場所はともかく、一瞬でも地元で同じ空気を吸っていたら、それなりに打ち解けた、かどうか分からないが、この子が生まれてない地元しか知らないわけで、彼からしても別世界の住人だろう。

20年前に帰省したときから、その子が生まれて時間も空気も共有していたはずだけど、帰省はよそ者の一時帰宅だから、やはり、すれ違い感が拭えない。

年齢もあるだろう。子供にしか見えない。触れてきた環境がまったく違う。地元が同じだからと店長に紹介されても、単純になにを話していいか分からない。海外に単身赴任してたお父さんが10年ぶりに帰ってきた感じか。

店長の立場とか、社員の立場として会えば、彼もそれなりに興味を持ってくれただろう。40すぎてフラフラしてる同郷の男に、彼はなにを感じただろう。「情けない」か。「誇らしい」ではないな。どっちでもいいけど、それも含めて「ただのオヤジ」だろう。

そもそも、地元が同じだから親近感なんて湧くのか。地元どころか、一緒に15年住んでた弟でも、いまだに打ち解けていないぞ。地元に愛着がある人ではないから、かもしれない。

といって、何も気にならないかといえば、そうでもない。その子がナヨナヨしてたり、プリプリしてると、少しだけジリジリしたり、ヒヤヒヤしたりする。事前情報がなにもない人だったら、「こどもだなあ」でおわるだろう。

「地元に帰るの?」という質問は口先だけだっけど、親の年齢を聞いたり、「65までほっといていいよ」ってアドバイスは、けっこう真面目にしたな。やはり、同郷だからか。

「ゆくゆくは地元に戻るかも」と言う。地元はないよりあったほうがいい。それでも、立ち寄れるぐらいでいいのでは。

自分の居場所はそこではない。

MEMO

スタンプラリーが始まった。35℃。辞めたほうがいい。

PS

いい子なので、同郷としてはホッとしている。「なに目線?」。彼からしたら、すこぶるどうでもいいだろう。

4日「日傘デビューした男たち、2種」

平日の男たち、主に健康系。日曜の男たち、彼女とペア日傘。

どちらも照れはあるようだ。健康マニアはとっくに日傘を差しているし、「猛暑の太陽は気をつけよう」とか、健康情報に振り回されている人は、ビクビクして他が見えていないから、我が道を進んでいる。照れる余裕がない。奥さん、おかんに言われたぐらいの人が、浮ついている。傘を差すときに勢いがない。

彼女とのペア日傘にしても、よほど尻に引かれていないかぎり、やはり照れは見える。「友達に見られたら」とビクビクしているな。彼女がいなかったら、すぐに差すのを辞めるだろう。ケンカしないでね。

今日は日曜日。日傘デビューしたカップルが見える。デビューか、デビューしたてかの見極めは、傘を差すタイミングか。女性は太陽の光を雨レベルで見ているから、自然に野外に出たら日傘を差す。男は彼女に言われて差す。にわか健康系は、思い出したように差す。

女性がたまに日傘を忘れる。傘の感覚だから、日が陰って忘れるのは自然か。男の日傘の忘れは今のところない。持っている人が少ないというのはあるけど、やはり手に違和感があるから、離すとすぐに分かるのだろう。日傘が板についていない証拠ね。

相合日傘のカップルがいたな。デカい日傘。有無を言わせぬ、半強制的な日傘か。それでも、二人一緒に日傘に入ってる姿は、微笑ましい。

みんな自由にやればいい。「男が日傘?」という目線は古い。「男が日傘?は古い」という目線もすでに古いか。ちなみにボクは日傘も差さないし、首にリングも巻かないし、ミニ扇風機も持っていない。

タダでくれるなら喜んで使う人かもしれない。それでもハンドフリーがいいかな。アクセサリーなんて生まれて一度もつけたことないし。ただ、あの扇風機付きベストだけは着てみたい。あれも冷感シャツを内側に着ないと、ひたすら熱風が体内を循環するらしい。

PS

男の日傘は折り畳みしか見たことない。そろそろフリフリした長い日傘を持ち歩いてもいいんじゃない?

5日「コピーを覚えようとしない老人たち」

やればできる。ほとんどが食わず嫌い、機械嫌いのやらず嫌いだろう。

コピーはそんなに難しくありません。簡単なことをなぜ覚えようとしないのか。どうしてもツンツン対応になる。お年寄りにしたら、「あんなデカいマシーンを攻略できるわけない」とあきらめている。

「万が一、壊したら大変」と思っているかもしれない。急所をつくようなボタンは、見えるところにはありません。では、なぜだろう。

失敗するのがイヤなんだろうな。前も書いたけど、「分からない」という状態もイヤ。保留する耐性、自分で試行錯誤する根性が年を取るとなくなるということか。

女性は「お願~い」と店に入ったとき、懇願するよう顔をする。けれど、ツンツン対応で「簡単ですから隣で教えますから、やってみて下さい」と言うと素直にやろうとする人が多い。

今日の女性も自分で果敢にチャレンジする。紙を下に向けて置いて、用紙サイズを決めてスタートボタン。簡単でしょ。用紙サイズは紙を置くところにメモリが付いてるから分かります。「ありがと」。「お金を入れないと動きません」と言うと笑う。お互い、ほのぼのしておわった。

男性は頑なにやろうとしない。「お金を入れてください」と去ろうとしても、「お金ってどこだよ、待ってくれよ」と離してくれない。レジが忙しいときは申し訳ないが、後回しにする。そうすると怒りだす。怒ることでもない。

もちろん、男性でもやろうとする。先週はボクでもやったことない新技を、その場であみ出した強者の男性がいた。その人も、最初はコピー機にビビりまくっていたが。「頼むから教えてくれよ、頼む」。

頼みかたが丁寧+教えると自分でやろうとする=「ありがとう」と言って帰っていく。この公式はありそうだ。逆もしかり。忘れ物のあるなしも比例するかな。そこは微妙か。

この差はなんだろう。怖いのは一事が万事で、なんでも人に聞いて、自分でやらない生活を続けた先にどうなるか、ということ。やろうとしてうまくいった経験がないから、よけいやらない悪循環か。できないと決めつける頭でっかちか。若い人も気をつけないとイケない。

今、バスの「シルバーパス」というお年寄りのバス券の支払いでコピーを頼まれる回数が多い。おかげ様で、いろいろ比較ができるネタが生まれた。

とはいえ、ツンツン対応も必要かと。

PS

シルバーバス。一年乗り放題で「1000円」の破格の料金設定をやめたいから、今年からめんどうなコピーをさせているのか。無理はいろんなところにシワ寄せが来る好例かと。

6日「彼女は連絡もなく辞めた」

と思っていたら。

そのパートさんは、前日に休んだ。「抜いた親知らずが痛いから休みたい」とのこと。鎮痛剤が効かないのか、効いても痛いから仕事ができないのか。「ん?」な理由だけど、痛いなら仕方ない。代わりに午前中のパートさんが残ってくれる。

「ちゃんと考えてから親知らず抜いてよ」とあきれるパートさん。本人は大丈夫だと思ったのだろう。前日の前日は日曜だから、いつ抜いたんだ?

で、今日。来ない。12時からの予定だが……。12時出勤の日と13時のときがあるから、間違えたかもしれない。「あるある」、だな。シフトの確認でしょっちゅう電話してくる人だから。

とはいえ、このシフトはかれこれ2か月ぐらい同じなはず。なんとなく怪しい雲行きになる。そして、13時の鐘が鳴らないが、時計はおかまいなく時を刻む。来ない。来ないぞ。

店長が変わって、「土壇場で電話して休む」が通用しづらくなった。「それでイヤになってそのまま辞めた」、という線であっけなく話がおわる。

「親知らずが痛くて、直前に休みたい」と電話してくる人は、店長的にも、シフトの肩代わりする人も、一緒に働く人もリスクだろう。これはピンチではなくて、辞めてもらうチャンスということか。

それでも、タメ(同級生)ということではないけど、連絡なく辞めるような人ではないので、もやもやは残った。といって、深く詮索するわけでもなく、「残念だなあ」ぐらいか。

人って分からないなあ。なにより、「おやつをいつも持ってきてくれるから、口惜しいなあ」。

午前中のパートさんが2日連続で残ってくれる。助かります。「連絡なく辞める人」の穴埋めは「親知らずが痛いから休む」穴埋めより、シフトの埋め甲斐があるだろう。ただ、直前で休む人が多くて代わりに残ることが続いているから、疲れているご様子。日本人、大丈夫か。

夕方に社員がくる。「休むって連絡ありましたよ」とあっさり言う。どういうこと?前日、いや当日の夜中0時にメールで「休みます」と連絡があったそうな。

いろいろ変だが、なぜそれをコッチに伝えない、社員。「当然、店には連絡してあると思った」のだそう。普通はね。普通、夜中に「休む」ってメールしますか。前科もあるでしょ。

怒るのは代わりに残ったパートさん。「なにそれ?」。憤懣やるかたないご様子。「クビよ、クビ」となかなか怖い言葉を連発される。店長は「あははっ」とあきれながら、内心、辞めてもらうチャンスを逸した感じか。

ボクはといえば、実害はないから、この「あるある」に気づけなかったことが「残念だな」ぐらいか。それより、これって天然でメールしたのか、計算して、店長がイヤで社員にメールしたのか、そこは気になるな。

天然でシフトを間違える人であって欲しい。でも、電話がイヤなのは確かだろう。今回は「シフトで迷惑をかけたくないから、少しでも早く休みを伝えたかったから、夜中にメールしました」にしよう。これが、このパートさんの自然な流れだから。

だったら、朝まで粘ってから連絡しても良さそうだと思うが。そこはご愛敬ということで。代わりに残ったパートさんに、何ごともなかったように親知らずの話をしちゃうのが、このパートさんです。

MEMO

ここ数日、ずっと曜日感覚が休日モード。ついに一年中、「お休みモード」で過ごせるようになった。と思っていたら、子供たちが、休みの親と一緒にあそんでいるときに出す平和ムードだった。

PS

親知らずを抜くのってそんなに痛いの? 虫歯で上の歯の親知らずを抜いた時はどうだったか。覚えていない。それより、「下の親知らずも抜きましょう」と言われて「なぜ?」と聞いたら「上を抜いたから」と言われて「え?」となった記憶はある。ついでに抜いちゃダメでしょ、こんな痛いのに。

7日「人見知りのパートさんは黙って、店長はご機嫌にしゃべりまくる」

動物の本能的にはパートさんが全然、正しい。それでは、店長は道化なのか。

人出不足でその日、その時間だけ働きにくる一見(いちげん)さんが多くなった。受け入れる側は足りない人だけ雇えて便利だし、働く方もしかり。コンビニのコンビニ的な雇用。

リスクもある。雨の日に来ない確率が多い。気持ちは分かるか、コッチはあなたが来ないと大変なのよ。いつか日記に、「社員が一人なってしまった」と書いたが、雨の日だったか。その日は遅刻だったが、社員さんの「ウソだと思ってるんで」はあながち、あながち。

一見さんと二人きりは、シンドイ。なにを話せばいいのか。「どこから来たの?」とか聞くのが鉄板みたいだけど、遠い人だったら、帰る道のりを考えて落ち込むかもしれない。「え?」と声が出るぐらい遠い人もいるから。時給の一部が交通費に消えるやるせなさよ。

一見さん二人で、店の人間が一人はなおシンドイ。今日がそうだった。しかも人見知りするタイプのパートさんで、二週間前から「この日、私一人で一見さんが二人……ふざけるな」と耳を疑う暴言を聞いてしまった。

そういう時代だから、対応するしかない。人見知りは当たり前で、気にすることではないのだ。「初めての人に笑顔で近づく人は、詐欺なので気をつけよう」と海外旅行の本に書いてあるではないか。実際、そうなのです。それはそれで、日本では味わえない「観光」と言えたが。

と思ってるところに、事務所から一見さんの打ち解けた声と笑い声が聞こえる。店長がものの5分で相手の懐に入り込んでいる。すげーな。店長、少し元気がなかったから、良かった。単純に接客より、こういうリクルートというか人集め、お祭りが好きなのだな。

ビジネスに徹した人だから、徹してる人だからこそ、「本能」とか置いといて、相手に好かれて勧誘、つまり一見さんを口説いて、固定シフトに入ってもらうことができる。これを道化と言えば道化だけど、それだけか。とっくに帰ってる時間だが。

店長は一見さんに肝心なレジの仕事をやらせないで、登録している会社のシステムを根掘り葉掘り聞いている。好奇心が本能を抑えている、というより、これも本能だろう。それが上回っている。年を取るとこれが逆転するが、面白い人はこれが衰えないな。

ボクはというと、なんか知らない人が二人もいて(一人は一見さんではなくて、ちょくちょく店に来てくれる人だけど、話をしたことも働いたこともない)、事務所では聞いたことない話を聞けて、お祭り騒ぎのような楽しさを味わった。

最後まで世間話とかすることなかったから、人見知りの本能にしたがいながら、好奇心の本能を満たす、というおいしい経験ができた。

おいしい経験ができた。と書いたが、「そもそもパートさん一人と一見さん二人のシフト」にボクが実況中継できるのはおかしい、と気づいた人は鋭い。パートさんに泣きつかれて、店長も社員さんの夏休みでエライ大変なシフトだから、気がついたらそこに立っていた。

シフトに出るのは簡単だけど、いつまでもいるわけではないからな。パートさん、この機会にいろいろ考えてくれたらありがたい。

MEMO

アパートの前で水道管の工事の仕上げ舗装。生々しい黒いコールタール。最後に水を撒いてくれたが35℃、逆効果で地面が煮えている。歩くとジュワジュワと音がする。靴の底が溶ける音か?

PS

人見知りの「イヤ」という感覚。パートさんはその感覚の「いなし方」がうまくなっていた。なにごとも慣れということか。あるいは、閉じこもったか。それは、マズい。

8日「何年振りかの筋肉痛か」

朝から首の回りが痛い。寝違えたかと思ったが、「さすがに寝違えすぎだろ」としばし、考える。

そういえば、昨日のバイトで重たい荷物を「おりゃ」と頭より高く持ち上げたことを思い出す。これか、筋肉痛か。

たしかに、微妙に違うか。寝違えたときは、なにもしなければ大人しいけど、今回はなにもしないでも、うずくように痛い。だんだん、痛みが首ではなく肩から胸のあたりだと判明する。まるまる物を持ち上げたときに使った部位ではないか。

筋肉痛、決定ね。

筋肉痛って、こんなイヤな痛みだっけ。寝てても痛いし、起きてても痛い、動くともちろん痛い。つまり、ずっと痛い。

数年前、ものの数分、その時もバイトだけど、頑張って床下を掃除したときに、「股関節」が筋肉痛になった。「え?あれだけで?」と情けなかったな。「にわかに信じられない」とはあのときの感情を言うのか。人生と動きの可動域が狭すぎる。

それでも股関節の痛みは痛いけど、「イタタッ」と痛がってるようすが、なんとかく間抜けで微笑ましかった。なにをしてても痛いけど、「苦」とは思わなかった。

上半身の筋肉痛だからなのか? 股関節は歩くときに痛いから、「痛くないように、痛いけど気にしないように」と対策が立てられる。でもこの痛みはなんでこんなに気になる?

どこかでまだ「筋肉痛ではない」と疑っているからか?上半身の筋肉痛ってどんなだっけ。久しぶりすぎて、思い出せない。筋肉痛、筋肉痛ねえ……。あ、そうか。

そんなに肉がないからか。胸板に肉がある人はそこが痛いから、骨と神経に直接、痛みが響かない。ボクはそれがないから骨と神経に直接、痛みが走る。たしかに一瞬、心臓とか肺がどうかしたかと疑ってたわ。そういうことか。

寝転がって、あまり動かないのが一番楽だから、寝転がる。やってることはいつもと同じだけど、少しでも動くと痛い。ホントに「いつも」は失って、そのありがたさを知る。

外は水道管の舗装工事をしている。揺れる。寝てられない。「おりゃ」と歯を食いしばって起きる。やっぱり、寝る。その繰り返し。いつまで続くの。

夕方に行くカレー屋さんだけが心の支えか。「ガーリックチーズ・ナン」を生まれて初めて食べてやる。首を伸ばしてナンを食べるのは難ありか。ナンより重たいものは持たないようにしよう。

MEMO

カレー屋さん。ネパール人のコックが3人、客はボク一人。遅刻してきたコック二人がネパール語で会話をしている。どこの国にいるか分からなくなる。

PS

翌朝。やはり痛いが、昨日より和らいでいるから「痛いね」と受け流せる。ガーリックチーズナンは期待とおりのおいしさだったけど、やはり、チーズケパプがいいね。

9日「拾いに行くべきか、洗濯バサミ」

洗濯バサミだったら良かった、じゃなくてその破片、1cmちょっとが隣の豪邸に落ちた。

その日、朝から日記を書いて洗濯機を回す。日記を書き終えて、洗濯機を待つ。マクラカバーのカバーをカバーした玉結びが崩壊して地肌が見える。洗濯機がおわるまでにできるかな。ま、無理だろ。やってみるか。それが間に合う。玉結びは相変わらずたまたま、玉結びだが。

今日はいいね。と思って洗濯物を干そうとしたとき、それが起きた。太陽の光で劣化したプラスチックの洗濯バサミ、そのつまんで広げるところがポキッと折れる。

つまみの右側は、数週間前にポキッと折れた。その時は洗濯バサミの真ん中のみぞに落ちて事なきを得た。根本から折れたわけでないから、そのまま使う。

丁寧に扱えばいいのに忘れてポキッ、ポキッ、と1mmぐらいずつ折れていった。折れた破片は、その度に溝に落ちるか指に張りつくから、懲りない。

今日も、ポキっと1mm折れる。さすがにつかむところが無くなる。ここであきらめて洗濯バサミを捨てればよかった。でも、あとの祭り。

左側は無傷じゃないの。左側のつまみを起点に右側のつまみの根本を持って洗濯バサミを押し広げようとする。折れることはないだろ。100歩譲って、まあ、間の溝に落ちるだろ。

ポキっとやや大きな音を立てると、あっという間に左側のつまみが飛んで行った。「あっ」。反対の手に持ったシャツ越しにその光景を見る。まずは窓枠に落下して、そのまま隣の家のエアコンの室外機に着陸。

それでもいきおいは収まらず、コロコロとその室外機の裏にポトリと落ちる。その間、3秒もない。ボクには永遠に感じられた。実際、永遠に洗濯バサミが落ちなかった未来は失われたのだ。

どうする?取りに行くか。前にも書いたけど、隣は1メートルも離れていない。敷地も入れると15センチか。つまり、塀の幅しかない。なにも落とせない。落としたら100%あちら側に落ちる寸法。

破片の大きさは1cmちょっと。なんて言えばいい。いっそ他の洗濯バサミなり、ハンガーを落とすか?それも違うか。この破片のために、朝から暑いのに、チャイムで呼び出されて拾うまで付き添わされて、迷惑千万じゃないのか。

それに届かなかったらどうする。エアコンの室外機はどう見ても家庭用じゃなくて、業務用。しかもそれが二段に積み上がっている。コロコロ転がって落ちた位置が、ギリギリ手が届く範囲。いけるか。

忘れていたことがあった。家でピーナッツを食べた時のことを思い出して欲しい。ポトリとピーナッツが落ちる。どうなるか?足元の床に張りつくか。否。跳ねて、信じられないぐらい遠く転がっている。

洗濯バサミの破片もそうなのでは?二階のアパートからから、室外機の二階から落ちてその場で静かにしてるわけがない。左側に飛んだら姿が見えるはず。でも見えない。ということは、やや左側か、これなら手が届く。

正面でも届く。やや右側から難しい。トングがいる。勢いよく右側に飛んだらお手上げ。もしそうだったら、あきらめるしかない。というか、その前にあきらめて。こんな隣人がいて「真面目な人ね」と思うより、めんどうで、かなり引くだろう。

たぶん、お手伝いさんだから、よけい、家の敷地に入れたくない。前に物干し竿を落下させて、このお手伝いにご厄介になった。物干し竿でも敷地に入れないのに、洗濯バサミの破片なんて間違っても探させてくれないだろうな。

普通は、お互いスルーだろう。しかし気になって洗濯が手につかないのはなぜか。こんなアホなことをする自分を受け入れるのがイヤなのか。それも、あるだろう。目の前がベランダか庭だったら「あーあ」。拾って終わり。冷静に考えたら、そこまででもないか。

「拾いに行きたい」が収まらない。たぶん、この豪邸は30年は取り壊しになることはないだろう。その間、室外機の裏の洗濯バサミの破片はあり続ける。もし室外機の外に出てたら、

庭師の人が拾ってくれるだろう。それも、ない。

一瞬で、洗濯バサミの破片が30年室外機の裏にある未来が決まってしまった。この取り返しのつかなさに耐えられないのだろう。頭にこびりついた記憶。

一瞬一瞬が人生を作る、良くも悪くも学ばされた。拾いたい、でも、あきらめよう。

MEMO

「だろう」はアカン。洗濯バサミに物干し竿。「たぶん、落ちないだろう」。落ちたでしょ。

PS

出かけるとき隣の玄関のチャイムを押したい衝動を抑える。部屋で考えてたときより、少しだけ収まっている。

10日「葛藤だらけのお盆休み」

買いだめ人は、カゴ一つをいっぱいするのがやっとで、帰省する人はゆっくり電車で帰る。

ついでにオリンピックは地震警戒のニュースを横目で見ながら観戦しているらしい。いずれにしても、どちらかに絞ったらどうか。

前日の緊急地震速報は空振りで「またか」と寝転がって、翌朝バイトに行くと、事務所がなんとなく「どよん」としている。事務所だけじゃなくて、世の中がそうらしい。

いよいよ大地震がくると身構えている。店長もパートさんも、怖がっている。あきらめている感じもあるが、ホントに来るなら働いている場合ではない。そこのリアリティ。

テレビもスマホもないから、パソコンも日記と天気予報と図書館の予約をするときしか開かないから、怖がりようがない。帰省する人がゆっくり目の新幹線で帰ったり、公共放送はオリンピック(甲子園?)中継のときも、地震警戒のニュースを流し続けているらしい。

なんとなくカゴ買いをする人が多いと気づいたのも、夕方ぐらいか。買い方に勢いがなくて手探りのようすだ。だから気づかなかった。買いだめでおなじみの棚がガラガラ状態でもない。だれもカゴ買いしていない。「私、なにしてるの?両手に満載のレジ袋持って、ちょっと恥ずかしいかも」。

子供を連れてくるのもおかしい。お菓子も買って、子供はピクニック気分だ。夏休みだからね。カップラーメンはさすがにいっぱい買っていく。

地域によって、水の買い占めが起こって不足しているらしい。全然、ある。普段より売れてないぞ。なぜかジュースを大量買いしてった人はいた。パーティか。みんな本気じゃない。

まず東京だということ。南海トラフは遠い。だから、リアリティがない。首都直下も、富士山、浅間山の噴火もあるでしょうに。なぜだろうな。

ボクもない。買いだめをしないし、帰省もしないし、テレビも観ない(観れない)。すべて不要だと思っている。水ぐらいか。あとは普段の買い物プラスαでいいのでは。

こと地震に関して、緊急地震速報も含めて「情報」は混乱するだけだと思っている。だって分からないから。大事なのは「備え」と「対処」。それしかない。

なぜ地震が怖いのか?が、みんな漠然と分からない。いきなり揺れるのが怖いから?電気屋さんでマッサージチェアに間違って座った人が、間違ってスタートボタンを押したら、驚くだろうけど、すぐ慣れる。

食料がなくなるのが怖いから?三日ぐらいは平気だろう。その間に支援の食料は届く。首都直下と南海トラフが同時に起こった場合は怖いけど、それは地震というより、支援が間に合わない怖さ。火災も地震そのものではなくて、二次被害。

建物の倒壊がやはり、一番、怖い。これも二次被害か。大地震は、めちゃくちゃ揺れる。問題はそこではない。

なにが問題か、整理して考えよう。

少なくとも、買いだめのカゴの数でもないし、帰省するかどうかでもないし、メダルの数でも全然ないはずだ。

11日「カゴ買いする人はいなくなったが」

いいのか。その代わり、小銭を握りしめてやって来る老人たち。

スーツケース族は楽しそうにやって来るし、家族でどこかに出かける人たちもたくさん来た。1日で日常に戻るのは早すぎる気もするが、遊びの予定が大事なのも分かる。

そんな人たちに紛れてやって来る老人。日常でもない、切羽詰まった感じ。駄菓子の棒スナックを3本、ゴツい手で握りしめてレジに置く。

お菓子を買いに来たんじゃないな。これは食料だな。老人の「文句あるか」という顔がチラッと見える。前にこの菓子でもめた老人を思い出す。「腹いっぱいにならない」。その老人は悲しそうにつぶやいた。

目の前の老人は違う。あきらめた表情。開き直りの態度。「これしか買えないんだ。他にどうしろってんだ」。いつもより大事に駄菓子をスキャンしてレジに置く。なにも察してないフリをして。

もう一人、来る。30分まえから、店を出たり入ったりしている。10回以上は、そうしている。あまりキレイな服を着ていない。「たまにエッチな本買いに来る人」とパートさんがイヤそうな顔をしている。その通りで、だからなのか親近感がある。

1分も店にいないで出ていく。出ていって5分後ぐらいに戻ってくる。このルーティンをひたすら続けている。認知症という感じではなくて、とにかく時間を持て余している感じ。「外が暑いからか」と思ったけど、外にいる時間の方が長いからなあ。なんだろ。

ポケットの小銭をジャラジャラさせたあと、お茶を持ってレジにやってくる老人。常温のお茶。30分も出入りして常温のお茶?せめてこの暑さ、冷えてた方が。

あれこれ思案したことをおくびに出さずに、淡々とお茶をスキャンする。もちろん、これが欲しかったわけではないだろう。買うお金がないのだ。

これだけうろついて、誰も老人が目に入っていないようすだった。あの服装で目に入らないことはない。マスクで分からないが、においもあっただろう。「一瞬で視界から消した」、そんな感じだ。行楽気分なら、なおさらそのスピードは速い。

ボクもいなくなってホッとした。この感覚はイヤだが、忘れないようにしよう。

たぶん、老人たちは年金受給日が来るまでこの生活は続くだろう。8月15日が支給日。放浪する老人。その解消らしき日が8月15日。なにかが欠けている。

12日「さびしいやあ」

父親が亡くなったときにつぶやいた母親の言葉。ひさしぶりに思い出した。

20年一緒に働いたパートさん。ボクはがいないときから30年、この店にいたパートさん。「マスコット」と言ったら失礼だが、いつもそこにいる人だった。確実にこの20年、家族といるより長く一緒にいるだろう。

そのパートさんから「来月に辞める」という電話が来た。

まさかボクより先に辞めるなんて。仕事が手につかないことはないが、しばらく、うわの空になった。そして、父親が亡くなったときを思い出した。少し、泣きそうになった。それぐらいの人だったわけだ。

いなくなると分かって気づくんだな。なにげなく見ていたパートさんの作業メモ、その文字が急に重く、せつなく感じてしまう。そうか、辞めるのかあ。そうかあ。

つい先日、シフトで泣きつかれて、ツンツンして突き放してしまったなあ。昨日も一緒で、苦手な仕事を覚えようとしてたし、分からんなあ。でも、「言われてみれば」だけど、元気はずっとなかった。

そのことについてはいろいろあるけど、とにかく今は、パートさんの「次」がうまくいって欲しいと願うだけ。過去はこの際、邪魔でしかないから。

あと、一か月かあ。まだ、信じられんなあ。

MEMO

かすてらが「なぜ」か売り切れ。常連さん、すいません。

PS

ボクがいなくなったとき、この人だけが心配だった。しっかりしたお姉ちゃんと一緒に働くみたいなので、大変かもしれないが、大丈夫だろう。新しい人生を楽しんでくれたらいいな。正解、だと思う。

13日「あれよあれよと辞める日が決まってた。その間、5秒」

店長と昨日のパートさんの話の流れ。「ボクも11月っすかね」「キリよく15日?」「はい」「OK」。

そういうことで辞める日が正式に決まった。店長とパートさんの説得をする話をしていたはずだが、なぜかボクが辞める話に一瞬なって、一瞬でおわった。

春ごろの予定が、兄貴の予定で延長になって、夏かなと思って、視察に行ったら雑草とハチとケモノの落とし物に行く手を遮られて、秋ごろかなと思ったけど、まだまだみんな元気だから、みなさんが冬眠してる「冬」かなと思っていた。だからその少し前、11月頃かな。

「どうすっかな」と逡巡してる間が一番、楽しい。だから伸ばしに伸ばしていたとも言える。でも確かに、気がついたら8月半ばじゃん。長い付き合いだから早めに、少なくとも3か月前には辞める話をしよう思っていた。まさに、「今」だったわけだ。パートさんに助けられたな。

パートさんの説得で明日、ボクが行くという話だったな。ボクは明日のシフトが手薄だから、店長にじっくりパートさんから話を聞いてほしくて、「代わりにシフトに出る」って意味だったけど、店長は「俺が言うと上からになるから」ということで一緒にパートさんと話をしてくれると思ったらしい。

それもいいけど「でもボクも辞めますから、辞める人に説得されても、あんたも辞めんでしょとツッコまれるだろうな」と二人とも思い直す。まさに説得に説得力がないという説得力ある、ごもっともな意見。ボクは、店にいない方がいい。

それからなにげなく、「11月っすかね」という冒頭の会話につながったというわけ。「なにげなく」、といのはウソか。パートさんがハッキリ「一か月後」と言っているのに、ボクも「そろそろ言わないと」、と思った。まるまるパートさんに助けられたんだ。やはり、「辞める」というのは勇気がいるから。

今はそれどころじゃない。店長もそうだろう。何人辞めようが、「俺が出るからいい」と気にする人じゃないから、パートさんの話を始めたのは意外だった。30年やってた人が、自分が店長になった途端に辞めるかもしれない。これはビジネスで割り切れなかったのだろう。

「大丈夫か」。明日、店長がパートさんにどういう話をするか分からないが、ボクはこの言葉に尽きる。外の世界をまったく知らない人が、異業種に、たった一か月の準備期間でチャレンジする。リスクが多すぎるのではないか。なんのプランもなく移住を考えている人間が吐くセリフではないが。

パートさんがどんな気持ちなのか分からない。ホントにやりたいなら、応援するだけ。少しだけシンドそうなら、そこは「逃げ道として、この店に籍だけ残しておけば」、確か店長はそんな話をすると言っていた。ボクもそう思う。落としどころというか、ただ、よけいなお世話かもしれない。

MEMO

かすてらが「未納」。ホント、すいません。

PS

翌日。7時56分。パートさん、8時から出勤。店長、仕事どころじゃないだろう。うまくいけばいいな。でも、元には戻らない。少しだけ緩やかになれば、ありがたい。

14日「ウィスターソースでやきそばを作ったら」

ビックリするぐらい麺に絡まなかった。ウィスターソースの汗をかいた麺はやきそばか。

念願の「有機ウィスターソース」を買ってやきそば作った。構想から3か月は経っている。スーパーで買おうとしたら、場所が変わっていて、売れないから返品されたかと焦った。ソース売り場にあった。よかった、よかった。

やきそば3個入りには必ず付属のソースが付いている。タレもからしもついていない納豆は少しだけ安いと聞いた。焼きそばはむしろ、麺だけだと高い。なんで?

そういえば一個入りしかないのはなぜだろう。うどんもそばも納豆だって3個入りがあるのに。「追い麺」みたいなものか。足りない人が付け足す用ってわけね。付属のタレを断固拒否して、自前のソースを使う人はいないということか。

安さに負けて3個入りを買う。どうせ買うなら、食べたことない味の付属ソースがついた奴を買おう。ま、ウィスターソースがうまいと信じて疑ってないから、余興ね、余興。

肉と野菜を炒めて、麺を放り込む。麺ほぐしの水をかけて水が蒸発するのを待つ。ここまでは実際、蒸しそばだな。さあ、真打の登場。ウイスターソースくん。フタを開けて仲ふたをとってペロリと舐める。「うまい」じゃないか。

「おりゃ」と初回限定の大盤振る舞いで豪快にウイスターソースをかける。とたんにイメージと違う光景が広がる。そのまま素通りして中華鍋に沈んでいくウイスターソース。いつもの付属ソースと全然、違うぞ。

慌てて、かき混ぜてみる。うんともすんとも言わない。ピーマンとも、もやしとも、肉とも、干しエビさえも、絡まない。どこいった、ウイスターソース。

首を傾けながら、中華鍋を傾ける。いたいた。むき出しのウイスターソースがなんの役目も果たしていないのに、ジュージュー蒸発して換気扇に吸い込まれていく。このまま炒め続けたら、消えてなくなるぞ、ウイスターソース。

いっそ小皿に分けて、「つけ麺」ならぬ「つけ焼きそば」にして食べてやろうか。

とにかく、食べよう。めんどうくさくなってお皿に盛る。最後に麺ほぐしの水なのか、ウイスターソースなのか分からない液体がお皿に注がれる。うまくは、ないだろう。

どこで失敗した?底にたまったウイスターソースをかき混ぜてながら「それ」を食べる。そもそもなんで、自前のソースで食べようなんて、大それたこと。いやいや、そこじゃない。

なんで「ウイスターソース」だと思ったのか。どう見ても、薄い。「薄いソース」がなまってこの名前になったんだろ、きっと。誰かに聞いたのか、何かで見たのか。全然、覚えていない。そうだと信じて疑わない根拠はどこか。トホウに暮れるぐらい、思い出せない。

結論として、やきそばは「特濃」でしょ。そんなの売ってたっけ。ウイスターソースの隣、濃さで並んでいると思うけど、その隣は「とんかつ」って書いてあったな。「とんかつ」って言われて、濃さが具体的にイメージできるか。というか、揚げ物なんてなんでもよくね。

で、その次が「濃い」か。まんまだけど、どのくらい「濃い」?とんかつの方がソースをドバドバ掛けているシーンが浮かぶから、分からんでもない。

これが最強の濃さだから、これしかないか。「濃い」を「ウイスターソース」と間違えたのは不幸中の幸いだったな。ウイスターソースは「薄い」からドバドバ使うから減るのも早い。これが逆だったら、「ウイスターソース」なのに「濃い」を買ったら、減らない減らない。その都度、少しずつ薄めて使う、めんつゆ使用。めんつゆは、ほぼ万能だけど、ソースは困る。ホント何に使うの?

そうなると「ソース味」って、そもそも「何味」なんだろって話だけど、ま、この辺で。

MEMO

雑居ビルの階段。4階まで一直線に伸びる幅の狭い階段。下駄で「登る」のに苦労したが、「降りる」とき油断したら……。

PS

明日は付属のソースで食べよう。余興じゃなくて救世主として。

15日「隠れたMVPたち」

今日はどうってことない一日だったな。と言えたのは彼らのおかげだった。

どちらかと言えば、布団を干すときに物干しのホコリを拭き忘れて苦労したり、おいしいはずのクルミパンが飽きたのか、味が変わったのか、いま一つだったし、間違いないカフェラテが、あきらかに間違いだったし。そんなものだろ、やや、ふて腐れた感じでおわる一日。

ちょっと待て。そんな余裕ぶっかまして一日を振り返れたのは、過去の「気づき」と「行動」のおかげだと反省する。

物干しの汚れがどうした?それどころか、物干し棒、そのものが物干し台から落下するところだったでしょ。物干し棒と物干し台を縛っている荷造りヒモが明らかにいつもと感じが違うのに、あなた、無視して布団干したでしょ。前に、思いっきり落下したこと忘れたの?

「だから気をつけた」。いやいや、だんだんユルユルになるのに「いける」って敷布団の手を出したでしょ。そこで「ヒモ、取り換えよう」と敷布団を一時撤収して、付け替えた瞬間の彼が間違いなく、今日のMVP。

物干し台の汚れだって、水道管の舗装工事があったから、かなり汚れているはず。でも工事があった日、帰ってすぐに物干し棒を拭いたからそんなに汚れてなかった。これも隠れたMVP。

さらについでに、今日の焼きそば。ウイスターソース買ったから、付属のソースいらねえや、と捨てようしたでしょ。「違うね。余興で使うから取っといたぜ。俺がMVPだ」。いやいや、その前に「余興でどうですか」となだめられたことまるまる忘れてるでしょ?あ、そうでした。はい、ここにもMVPがいました。

なにもなかったからスルーしてしまう。隠れてしまう。あのまま布団を干して、物干し棒が隣の家に落下していく姿を想像するとヒヤリとする。もしかして、お盆で誰もいないかもしれない。しかも、明日は台風。布団も一緒に落下していたら……。

こんな大惨事を未然に防いだのに金一封どころか、からっと忘れてふて腐れている。ホント、情けない。

隠れたMVPのおかげで生きているとも言える。「小さな気づき」のありがたさ。それは、未来へのギフト。ふて腐れて、すいません。

MEMO

人生の意味。「ある」、「ない」ではなくて、「なぜ」問うのか。そこに見返りを求める思考がある。だから、ドツボ。

PS

さらに言うと、付け替えた荷造りヒモだって数か月前に、「短いから捨てちまえ」と捨てるところだった。たぶん、切れそうになって慌てて買いに行ったか、目をつむって強行しただろう。そして、落下したかも。あの時、止めてくれてありがとう。

16日「移住へのカウントダウン」

3か月を切った。と思ったら、バイトを辞める日が決まっただけで、何も刻んでなかった。

バイトを辞めたからといって移住しなきゃイケないわけではないから、そのままこのまま何もしなければ、30年ここにいられるし、いてもいい。その前にアパートの寿命が尽きるか。

「なにをするか」と台風で一日閉じ込められて、考える。特にない。「決める」。それだけ。じゃ、とっくにおわってるじゃん。

「まだカウントダウンは始まっていない」ということは、「決めたつもり」だったということか。決まったら「やるだけ」。つまりダンドリだけだから、つまらんのだろう。だから、やりたがらない。ホント、それだけか?

バイトを辞める日が決まったことで、ダンドリを考える気になってくる。ダンドリは一瞬ではおわらないけど、ほとんどが事務的なこと。兄貴に「土地くれ」というメールにしても、その種類作りにしても、引っ越しの手続きにしても、小屋作りの申請うんぬんにしても。なに一つ、楽しくなさそうではないか。

「やりたいことがあるのに、事務的なことがイヤだからやらない」わけではないだろう。やはり、怖いか。あとには引けない。バイトを辞めるのとは違う。家族から土地をゆずってもらう。「やっぱり、いらない」はマズい。それなりにお金もかかる。でも、一番の問題はどこだろう

失敗するのが怖いのかな。なぜ、怖いのか。失うものはないと思うが。お金は稼げばいい。時間か?なにをしたって時間は平等に減っていく。

移住そのものがつまらない、かもしれない。それなら、ココをキープしておけばいい、お金はかかるが、保険料だろう。

引っ越しの準備ではないが、持っていくものと持っていかないものを決めながら部屋を見回す。そんなに、つまらなくない。少しだけ、ワクワクする。

やりたいことが、ダンドリのめんどうくささ、大変さを乗り越える後押しをしてくれる。海外に行くときに味わった感覚を思い出した。

台風で缶詰にされて、いつもなら息苦しさを味わうが、未来への想像が、目の前の視界を広げてくれる。

それでも、やはり寂しい。生物は心地よい環境を本能で選んでいる。ココは確かに心地いい。でも、人間の持っている想像力がそれを上回ったら、それなのに何もしなかったら、人間として生まれた甲斐がないではないか。

もったいない。とはいえ、とはいえ。

17日「とりあえず、お元気そうで」

何よりです、パートさん。

いつも通りに接しようと、パートさんが来るのを身構えていた。身構えちゃダメでしょ。店長の話だと、「辞める決意は固い」そうだ。

「おはよございます」。パートさんが現れる。いつもは声だけ「おっす」と姿も見ない。今日もそれで行こう。だが、思わず「チラ見」をしてしまった。いつもと同じに見える。

いつもと同じなわけない。「いつも」はおわってしまった。新しい「いつも」を作るしかない。イスに座って足をブラブラしている、パートさん。

目の前に辞めた若店長の菓子帯とお別れの挨拶がある。「辞める辞める」のオンパレードで、辞めるが日常化して、辞めるありがたみ、ではないが、軽くなっている。その隣に社員の土産菓子が。そう遠くない日に「お別れの挨拶」が添えられてそうだ。

パートさん。もう、済んだことみたい。同じすぎるぐらい、同じ言動。ジロジロとリサーチアイを飛ばしたいが、いつものマスク高山病でその余裕がない。昼ご飯も食べすぎて眠い。

パートさんもこっちのようすを気にしてるだろうから、「いつも通りね」と、へんに詮索もされず、ホッとしたのでは。全然、いつも通りじゃないですが。やっぱ分からないな、人は人を。

あと、一か月もない。慌てて不自然に「いつも」を作るより、ゆっくり新しい「いつも」が出来ていくのを待とう。

PS

もう一人のパートさんと食事会をすることに。「食べに行こう」といつも言っていたのは辞めるパートさん。いろいろ話したいことがあったのだろう。もう一人のパートさんが慌てて食事を提案。嬉しそうではないな、パートさん。遅きに失した感がある。でも、問題はそこではない。

18日「タワマンの明かり」

お盆おわりの熱帯夜、人もまばらな道からタワーマンションが見上げた。

残業して夜、7時。おそろしく蒸して暑い。一本道を、一日を仕事で塗りつぶしされた哀愁を背負って歩く。

明るいところでしか見たことがないタワーマンションが遠くに見えた。建設中も完成後も、ずっとコンクリートの塊だった。そこに人の生活の明かりが見える。いけ好かない感じがなくなる。生活の明かりは離れて見ても、心地よい。エアコン、効いてるだろうな。

まだ働いている人がいる。しばらく行っていない理容院も明かりが付いている。休みの日が多くて、あまりやる気を感じないオバちゃんが経営している。7時まで営業。ギリギリでお客さんが来たか。「通い」って言ってたから、早く帰りたいだろうな。足だけ見えたオバちゃんに同情しながらスーパーへ向かう。

この時間だから値引きの弁当あるだろう。と思ったら弁当は定価だった。寿司だけ安い。熱帯夜で寿司は、情緒がないな。通りがかかりの若者の「カツ丼うまかった」を信じて買う。

レンジがないから、スーパーのレンジを借りる。でもシャワーを浴びて、汗をかいたシャツの手洗いまでお預け。食べるとき、ぬるくなってるだろうな。あるいはエアコンで冷えてるか。

「さあ、ご飯」とあきらめてカツ丼を手に取る。まんま温かい。「おおっ」と思わず声が出る。理由は定かではないが、考えるより食べよう。10%引きの筑前煮が、鳥の油が固まって「なぞの物体」と化してたけど、うまかったな。カツ丼もおいしかった。

ここで微妙な夕食を食べたら、悲しい。

みんなこんな時間まで働いてるのか。パートさんはまだ働いている。しかも一見さんと。そりゃ辞めるよな。ボクだったら、その前に逃げる。

タワマンに住む人はもっと頑張っているかもしれない。家族そろって夕食を食べているだろうか。お盆だから大丈夫だろう。あるいは部屋にこもって働いてるかもしれない。競争とか大変そうだな。そう考えると、あの明かりは複雑なともし火に見えてくる。

あとは寝るだけ。こんな「生活」もイベントとしては悪くない。でも、生きた心地がしない。

19日「なぜパートさんの食事会が決まらないのか」

辞めるパートさんをAさん、食事会の発案したBさん、そしてボクは、やる気満々なのに。

Aさんは自分のための食事会を「何日、何時、ここでやりたい」と言えばわがままだし、大人しい性格だから、基本「受け身」の人だった。

Bさんは、Aさんが辞める衝撃でパニックになって、「わがままは何でも聞くから言って」と思考が停止している。基本は受け身ではないが、今は完全に「受け身」の人になってた。

ボクはBさんと同じで「台風じゃなきゃ、OK」というマイペースで、要するに何でもOKだったけど、人任せという意味で「受け身」だった。

誰かに決めて欲しかった。そのわがままを聞くことが優しさだと思っていた。

でも、決まらない。さすがに「では、来週」じゃ、遅いだろう。Bさんとボクが決めるしかない。Bさんは、あくまでAさんに決めてほしい姿勢を崩さない。気をつかいすぎて疲れた感じもする。Bさんだって、いろいろあるだろうからな。

昨日のAさんの感じでは、決めるも決めないも、その気力がない。食事会なんて「もういいや」となりそうだ。じゃ、やっぱりボクか。

飲み会の幹事とか生まれ変わってもやらないと思っていた。日と場所ぐらいなら決められる。Aさんの休みの日は休んで欲しいから、前日か。いつもの居酒屋にするか。予約の電話はBさんに頼もう。それって、幹事か?

今は「どこか」、よりとにかく食事会を「開く」が大事だからな。雨とか降らなければいいな。幹事って、いろいろ考えて大変だな。

Aさん、来てくれるかな。Bさんにメールしてもらおう。幹事ではないな。Aさんの代理か。

MEMO

小さなミスが大きくなる。小さいミスをなくすことが大事で、結果は仕方ない。だいたい、運。

PS

食事会は「食べ放題がいい」なんて思ってた自分が恥ずかしい。

PS2

Bさんが食事会のダンドリに動いてくれていた。「この男に、幹事は任せられない」。

20日「正義の見方」

どちらか正しいか、ではなく、距離感。囚われるのは不自由だし、振りかざすのは、はた迷惑。

品出し等々、外回りの仕事がおわってレジに戻ると、パートさんが「ハゲに怒られた」と怒っていた。そんないきなり、脈絡もなくハゲに怒られた怒りをブツけられても困る。

なにかミスでもしたのかな。違うみたい。おじいさんが電池を買おうとしたら、お金が足りなかった。「お金が足りないので買えません」とパートさんが答えた。なんで怒られる?

そうではない。隣のレジで会計していたハゲ(お客さん)が「おじいさんに対して、今の言い方はなんだ。失礼だろっ」と言ってダメ出しをしてきたというのだ。

キョトンとするパートさんの姿が目に浮かぶ。なにがイケなかったのか。レジに戻るとき、確かにそんなハゲ(お客さん)が帰っていった。少し挙動がおかしかったな。名残惜しそうに、レジの奥を覗いてたな。はいはい。あの人か。

なにかといちゃもんを付ける人。それなら、いい。「レジ袋はいりません」、「商品は自分で入れるの結構です」、「〇〇は間違ってる」と小言を言う。なんとも言えないイヤ味な言い方。見た目の問題か。確か、介護のポロシャツを着ていたな。30代前半か。

「失礼だろっ」までは、その人あるある。ちょっと「はっ?」と思ったのは、そのあとに「謝れ」とパートさんに言ったこと。誰に?なぜ?

それは言い過ぎだろう。話しを聞いてるこっちもムカムカしてきた。「帰って行ったおじいさんを追いかけて、謝れ」ということらしい。この人の中では、まったく間違ってないのだ。

パートさんがどんな言い方をしたか分からないが、それを聞いて正義感がうずいたのか知らないが、「命令」は明らかに相手の人格を無視している。そこは間違いだと思う。

「おじいさんに優しく」という正義は分かる。じゃ、なにをやってもいいのか。そこに正義はいらないのか。ただの感情のたれ流しなのでは。「ムカッ」と来たから「ガツッ」と言った。だって正しいんだもん。

正義は難しい。思考停止じゃ無理だし、ストレス発散の出汁ではない。

正義の味方を目指す子がバイトに来た。深々と最敬礼で「〇〇です。よろしくお願いします」と頭を下げてきた。この子か、警察官を目指すって子は。「うっす」と店長に挨拶してる男に見せてやりたい。

この子はまだ正義に囚われてもいないし、まして感情のはけ口として振りかざしてもいない。「なにが正しいのか」。その自問自答を繰り返す、その最前線に立つのか。「頑張って」と言わなくて、やるだろう。ひたすら、エールです。

あの男が帰りぎわにレジの奥を覗いていたのは、パートさんのようすを伺っていたからか。「ジロジロ覗き見」の感じがしたのは、パートさんが改心したかではなく、落ち込んでるのを見たかったからか。

真っ昼間で普段着。介護の服を着ていなかったな。なんとなく、どうなったか分かる。ちと、寂しい人。

PS

パートさんに「あの人はあんな感じ。前に来たときは介護の服を着ていた」と話したら「だから、おじいさんのことで怒ったんだ」と納得して、いつもの感じになった。そこか。

21日「食事会」

ゲリラの予報。その前に店にたどり着く。ホッとするもこっちの嵐はとっくに過ぎ去っていた。

あたり触りのない会話。「肉を食べたい」と言ったので、ステーキ屋さんに行く。お目当てのステーキが高すぎてハンバーグに変更。10年以上まえに来たか。交通の便が悪いと思ったら、電車一本、徒歩3分だった。もっと早く来ればよかったのか。

すべてはおわったあとだった。

Aさんの決意は固く、さばさばとしている。「おわったはなしをされても」とパートさんは少しめんどくさそうだ。ダブルワークする気も、戻る気もない。そうか。Bさんも、あきらめる。「わたし、どうしよ」。

会話もなく、ハンバーグを食べる。「味が濃いね」。確かに。かける言葉がない。なぜか、エアコンと換気が不調になって、「暑い、煙い」で居心地が悪くなる。それがかえって張り詰めた空気をゆるめてくれる。出ますか。

うろうろしてるゲリラの雨が、外に出たとたんに強くなる。大きな駅の喫茶店に移動する。にぎやかなところで、デザートを前に話しが弾む。店のグチしか出ない。

そして、Bさんが一番聞きたかったことを聞く。「辞めるって決めた理由はなに」。開口一番、「ボクが辞めるから」。そうなのか。それは……「すいません」とあやまることではないけど。正確には「みんな辞めちゃうから」。最後の決定打がボクらしい。「みんな辞めて、楽しくない」。

先週の日曜日、Aさんはシフトを見て大きなため息をついていた。きついシフトなのに、ボクが辞めたら一見さんとずっと二人。たぶん、そこだろう。

もう一つ、ため息の理由は「なにも変わってない」。あれだけ心身ともにキツイと話したのに、なにも変わってない。もういいや。

図らずも、辞める一因になってしまった。まさか辞めるなんて。ただ、このシフトはボクだけでどうなるレベルではない。それでも、Aさんの気持ちをあまりに無視している。

ボクが一番気になるのが、新しい仕事だ。仕事おわりで疲れているAさん。それを聞いて安心したいのはボクのエゴ。「また、近いうちに食事会をしましょう」と解散する。

次は、新しい話をしたい。おわったことを話すのは辞めよう。そのおわったことに、ボクもいるのだけど。このまま、何もしないのがいいかもしれない。

PS

Aさん。辞めるか留まるか悩んでいたころより、あきらかに吹っ切れてたくましくなっている。大丈夫、かな。

22日「糸トンボ」

が目の前に止まった?停まった?泊った?留まったが正解か。

図書館でプロレスラーが書いた「ホントに強い男」という本が目に入って、「強い」とはなにか考えようと思って手に取る。

そのまま他の本を見にいくときに、棚に貼り付けた図書案内の色紙に糸トンボが着陸した。糸トンボだ。何年ぶりだろうか。トンボの季節が来たのか。

糸トンボはそこに一時停止のように止まったわけではない。だから「止まった」ではない。バスを待つために停まったり、トンボ仲間を待つために停まったわけではない。だから「停まった」わけではない。もちろん、図書館で一泊しにきたわけではない。「泊った」でもない。

その瞬間、羽を休めにきた。野暮用で留(とど)まる。「留(と)まる」は目に留まるとか物ではないときに使うから、誤用になる。留(とど)まるでいいけど、「糸トンボが留(とど)まる」は、腰が重い気がして合わないな。留(と)まるは誤用だけど、糸トンボっぽい。

糸トンボが留まる。さて、どうする?

間違いなく本を借りにきたわけではない。迷い込んでしまった。一発で小さな羽をつかんで外に逃がすか。失敗して羽を傷つけたり、捕まえ損ねて、入り口近くなのに、さらに図書館の奥深く迷いこんでしまうかもしれない。

うまく掴んでも、ボクの片手には「強い男」の本がある。貸し出しもしないで外に出たら、図書館員の人が追いかけてくる。今日はちょっとした汚れも折り目も気になってしかたない神経質な人だ。

「本を戻して」と考えたところで、「ま、あとでいいか」を考えるのを止(と)める。本を借りてから、一緒にここを出るか。

いない。うまく外に出たらいいけど。あのとき、捕まえておけばよかった。強い男ならそうしたはずだ。表紙のプロレスラーに怒られた気がした、わけではない。

23日「ありがとうございます。ありがとうご……」

ややあって、「ざいました」と言った番台の彼女は、何に息をのんだか。

ほどよい暑さになって、銭湯もそんなに苦痛じゃなくなった。湯上りも相変わらずエアコンの前が気持ちいいが、外に出るのに「よし、行くか」という掛け声はいらなくなった。

男湯の暖簾をくぐっ外に向かう。少し前をお客が歩く。番台のお姉ちゃんから「ありがとうございます」と声がかかる。もう一人、後ろから来た。「ありがとうご……」。

「え?」。同じように挨拶されて送り出されると思っていたから、この間はなんだ。「あっ」。破れたシャツを着ていたことを思い出す。完全に油断していた。「ざいました」と蚊の鳴くような声が出口あたりで聞こえてくる。見られたか。

破れたシャツを着ている自覚はあった。銭湯だから大丈夫だろ。お金を払うときに「背後にギャルが立たれたらヤダな」ぐらいで、それもなく、余裕で帰れると思っていた。まさか、帰るときに番台のお姉ちゃんに見られるとは。

いや、待てよ。ホントにシャツが原因か。スマホで衝撃映像を見たのかもしれない。あるいは、忘れていた大事な用事を思い出したかもしれない。振り返って確認したいが、目が合ったら気まずすぎる。

シャツの色が肌色だし、照明も暗いし。なんとかゴマかせた筈だ。でも、あのリアクションは……。回数券のことで顔が割れてるから、どう考えても、親しみのこもった「常連さんあいさつ」だったなあ。破れたシャツを見破られちまったか。

あんなハッキリしたリアクションに恵まれたのは幸いかもしれない。見てないところでクスクス笑われるより、黙殺されるより、破れたシャツの着甲斐がある。破れたシャツを攻略したつもりでいたが、文字通り、破れたシャツに敗れたわけだ。

驚かせてすいません。でも、いいリアクションだったな。

PS

ギャップもあったかもしれない。「破れたシャツを着ているような人」には見られていなかったわけだ、あの瞬間まで。

24日「おごりのないおごり」

ややこしいから、他で買った商品はバックに入れるなりしてご入店ください。

外国人の観光客。水を持ってレジに来る。お会計を進む。「あれ?」。手にパウチゼリーを持っている。うちのプライベートブランドではなく、どこにでも売っている商品。

堂々と持っているぞ。「これはうちの商品かな」。そのまま、お会計を済ます。声を掛けるタイミングを逃がす。追いかけようか。

入り口の荷物置きで立ち止まる。商品を袋に入れるのみたいだ。たぶん、お金を払ってなかったら気づくだろう。ここまで気づかない人も珍しい。だいたい、レジの途中で手に持っていることを気づいて渡す。脇に挟んだ新聞とか。

「他で買った」と言わればそれまでだし、その通りなんだろうけど、疑われたことでご立腹する人もいる。声が掛けづらい。新聞なんて、読んだ形跡があれば声を掛けないけど、微妙。

外国人の観光客の人、そのまま商品を入れて出ていく。ま、大丈夫だろう。万が一のために、カメラで確認する。店に入ってきて、パウチゼリー売り場に直行して商品を手に取っている。おーい。

ボクもレジで気がついたとき、声をかければよかった。そもそも気づくの遅かった。外国人の人も、相方が腹をこわして余裕がなかった。「常温のデカい水をくれ」と英語で言われて、身振り手振りで「ない」と説明した。

お互い、少し浮き足立っていた。手に持ったゼリーの会計を済ませたか、気づかないぐらい慌てていた人。水の案内とタイミングずれの声かけにまごついた人。あるある、か。

しょうがないから、おごる。100%、彼はボクがおごったことを知らないだろう。おごりは「おごってやった」というおごりが、大なり小なり必ずあるが、これはおごりのないおごり。いや、「おごりたくても、おごれないおごり」か。

PS

カメラで身振り手振り、外国人に説明するボクの姿。ヒョロヒョロでした男が、ナヨナヨしながら大げさなジェスチャーをしている。とてもデキる国際人に見えない。滑稽な「もやし芝居」。

25日「来週のシフト」

は見ない方がいいです、Aさん。「ふざけるな」から「頭がいたい」を通りこして「ふっ」。

ここまでくると、怖いもの見たさ。おおよそ、情報というのは不幸、不安で稼いでいる。だから見ない方がいいのだけど、見てしまう。Aさんにとって来週のシフトは、その域に達している。

この店は固定シフトのはずだが、毎週違うメニュー(シフト)というのも面白い。それだけ人がいないし、定着しない。

昔より、シフト作りが楽になった。メール一つでその日、その時間のシフトが埋まる。それが固定で働いている人の軽視につながるっていないか。固定で働いている人も、働こうと思えばどこでも働ける。これはいいことなのか?

全然、いいと思う。ただ、少し甘えてしまうのも確か。長い目で見て、この選択は自分を資するか。冷静に考えたほうがいい。目先の「楽」は、5年後の「ドツボ」にならないか。

そして、Aさん。あきらめている。「ふっ」は「ここまでヒドいか」。ボクのシフトもなかなからしい。見る気もしないが、見せてくれる。ま、なんとかなるでしょ。

Aさんは自分ができない仕事があるのに、新人とか一見さんと二人にされられるのがイヤ。まったくその通りだが、こういうシフトはこれからも続く。だったら、見ない方が気持ちよく、新しい週を始められるのにな。ホント、情報というやつは。ボクも気をつけないと。

できない仕事でトラブっても、そういうシフトを組んだ人の責任、と開き直ればいいけど、それが出来る人ではないからな。自動レジもその一つ。つまったら、私ムリ」。

あと一時間。ボクが帰って、自動レジのつまりが直せる人が来るまで。先週は2時間。先週は何ごともなかった。今日も何ごともなければいいが。残った方がよかったかな。

PS

帰りのスーパーでカツ丼と筑前煮を買う。目の前で自動レジがつまる。Aさん、大丈夫かな。

26日「お腹が下る」

身に覚えがない。だから、何かの間違いだと思ったが、出るものは容赦なく出る。

うちのコンビニはトイレを貸していない。だから、助かった。第一声は、まずこれ。うんがよかった。

なんとなく腹の具合が悪いと思っていたが、いつもの痛みも、外に出たがり感じもない。なにより、食べすぎとか飲みすぎとか、まったく身に覚えがない。気のせいか。

だんだん、いつもの腹下しのモードに入っていく。ま、行くか。「ジャー」と流す。それなりの軟便だが、そんなこともあるよね。

気にせずに、少しは気にしたか、コーヒーをあきらめて、バナナのスムージーとスパゲッティと菓子パンを食べる。なんともない。そういうこともあるよね。

バナナのスムージーをごくごく飲んでから、あきらかに腹の中が殺気立っている。猛烈に出たがる。トイレに直行する。水性のそれ。

なんでだ?店の狭いトイレの閉塞感が、不安に拍車をかける。昨日のカツ丼か。30℃の部屋に30分くらい放置していたからか。冷蔵庫の筑前煮に、罪はなさそうだ。カツ丼だって先週と同じだし。

お腹を出して寝た?お腹の弱い子供か?そうとも言える。さすがに、ここ一か月、エアコン使ってないときは、30℃を下回っていない部屋で、それはないだろう。

なにかの病気か。帰るときには普通に、バナナスムージーを飲めた。なんともないどころか、中身を出し切って、カラカラなった体にしみこむ感じがした。「もっともっとくれー」。

分からん。食べすぎとかなら、すぐ合点がいって忘れるのも良くないが。あ、もしかして、朝の冷たい麦茶かな。朝から30℃の中を歩いてくるから、店に着くと、のどがカラカラ。思いっきり冷たいものを飲んだような。「朝は白湯」の男がやっちゃいかんことした。

でもな、それもいままでなかったか?と言われたら……もっと暑い日もあったし。合点がいかないといえば、いかない。他には量の問題か、麦者の温度の問題か、衛生面の問題か。

決めつけずに様子を見て行こう。手遅れにならないと、思う。ただの下痢が一番怖い。

PS

翌朝。屁をするのもこわい。一緒に飛び出す可能性がある。恐る恐るの「屁」。弱々しい回復のラッパ音。たぶん、大丈夫。

27日「五分後に大雨が止んだ」

「その五分が待てなかった」は、結果論か、根性なしか。

外は大雨。さて、雨雲レーダーを見る。ちょうどアパートを出る五分後ぐらいに弱まりそうだ。五分、どうする?

いつもの公園を通り抜ける大回りの道を行かなければ、5分ぐらい余裕で待てる。直線のなんの面白味もない道だけど。

それで行くか。待てよ。踏切があった。大雨で電車が止まったり、遅れたりして、開かずの踏切になったら困る。大雨の中、立ち往生した挙げ句に遅刻は踏んだり蹴ったりだ。

その分岐点の時間が来る。あと、五分は無理でも、3分はどうか。雨雲レーダーは当てになるのか。五分早く出たほうが正解だったかもしれない。どうする、どうする……。

気がついたら、定時に出ていた。その前に、一瞬だけ雨が弱くなった。これ以上は、あきらめよう。

外に出た途端に、大雨になる。横風も噴き出す。あれよあれよで、全身びしょぬれ。これから10分近く歩くのか。傘を差していない人もいる。これぐらい開き直るほど、まだ濡れていない。

と、雨が止み始める。それどころか青空も見える。天気雨で「しまった」という気持ちをせせら笑うように、ラスト5分は晴れて、暑い。雨傘が日傘になっている。

こうなったら「人間乾燥機」になって、いつもよりゆっくり歩こう。ホコリかぶった雨靴を洗えたと思えば。でも、悔しい。

もう10分「遅く」晴れていたら、そんなに気にしないと思う。なんだろ、このもやもやした悔しさ。「5分」待てなかった不甲斐なさ。どうせなら、最後まで降って。

バイト中、歩くたびに濡れたズボンにヒヤッとする。そのたび思い出す、あの晴天。五分、五分、なぜなんだ。「もう五分降ってたら」って考えよう。もっと、びちょ濡れだったじゃん。でも、やっぱり悔しい。

一発勝負で生きているのだから、ぶっつけ本番で生きてるんだから、ヤンヤ言いなさんな。結果論は、野次馬根性だと思う。次に生かせるように、その悔しさをバネに生きていけたらいいじゃない。

PS

帰りも怪しい雲。同じように「10分待てなくて」土砂降りに遭ったパートさんが「またか」となげく。ボクは来たときのことを忘れていることに気づく。「しょせん、ただ濡れただけよ」。

28日「お待たせしました」

と言われると待ったような気もするが、そんな待ってないでしょ。

図書館で本を借りようとしたら、オバちゃんと同時並びになる。並んでない風を装って本を物色する風を装うが、オバちゃんは「どうぞどうぞ」とボクをしきりに前に並ばせようとする。「大丈夫です」と逃げるようにカウンターから離れる。

頃合いを見て戻ると、まだオバちゃんが並んでいる。さらに後ろに二人、並んでいる。お言葉に甘えとけば良かったな。といって、並ぶのはキライもキライ。もう一つのカウンターを開ければいいのに。

見ると、白髪のおばあちゃんがゆっくり受付けをしている。ザ・マイペース。若い受付けの人だったら、並んでいる人のプレッシャーを感じて「カウンターお願いします」と慌てて相方を呼ぶ。

でも、このおばあちゃんはまったく気づいてないのか、「そんな急いで借りてどうするの?」と知らん顔なのか、ペースを乱さない。こっちがヤキモキしてくる。並んでる人、怒らないか。見てられない。もう一回りしてくるか。

コンビニに行く。一瞬だけ、待つ。レジの男の子が目の前のお客をさばくと、分身の術を使って隣のレジに移動「お待たせしました」とボクを呼ぶ。その0、1秒前に、オーナーの奥さんが男の子の反対側のレジを開けてくれる。「お待たせしました」。「お待たせしました」の板挟みで、わざわざレジを開けてくれた義理と人情の板挟みで恐縮してしまう。待ってません。

スーパーに行く。少し離れたところでレジが開くのを待つ。前の人の会計が終わる。大きな声で手をあげて「お待たせしました」と店員さんが叫ぶ。その0.1秒前にボクはそのレジに向かっている。呼ばれるまで待てない?

カレー屋さん。「すいませーん」とお客さんがネパール人の店員さんを呼ぶ。。たぶん、ナンのおかわりだろう。店員さん、まったく気づいていない。お客さんの声も小さい。もう一度、呼ぶ。気づいてない。キッチンの目の前の席にいるボクがヤキモキする。店員さんが一瞬振り返ったので、手をあげて、ナンのおかわりのお客を指さす。「分かりました」。ホッとする。

さらにお客がくる。「すいませーん」「すいませーん」。リアクションがない。おいおい、またか。店員さんが振り返るのを待って、また指さし案内する。

おばあちゃんとネパール人の店員さんのマネができるか。できそうもない。じゃ、できないのはなぜか?「お客さんが神さま」だと思わないが、待たせて怒られるのが怖い。

少しぐらい「お待たせ」しても、させられても差し支えはないはずだ。他人の反応を過剰に気にしすぎだし、元をたどれば、肥大化した自意識がある。

「お待たせされました」と冗談半分で言っていたお客さんがいたな。たぶん待たされてイライラしてたと思うけど、その感情のいなし方は悪くない。ま、「一言、余分」だけどね。

MEMO

あく取りスプーンの裏技。テイクアウトのアイスコーヒーの氷をすくって出す。問題は、どれくらい氷を残すか。

PS

カレー屋の店員さん。店の注文とデリバリーの注文を一人でこなしている。お会計の声をかけづらい。つまり、待たされている。「お待たせられている」。でも、そんなに気にならない。そうか。「待つ」と自分で決めればいいのか。「待たされた」の被害者意識に益なし。

29「なにゆえ踊ったか」

踊りたくなって踊る人はいまい。気がついたら踊っていたが自然。

世間は相変わらず情報に踊らされているが。台風の進路とか、未知の病気とか、お米とか。

一日、「来るぞ来るぞ」の台風で缶詰。やることがなくて、寝るか食べるしかない。明日の分のおやつとカフェラテに手をつけても時間を持てあます。

そんな一日の午後の2~3時は、実りのない一日を過ごした後ろめたさで、落ち込む。途方に暮れる。ごまかしの買い物に、台風で行けやしない。「なにを、なにやってんだ」。なにもしていない。

開き直って午後4時まで待つ。「もう夕方だし、今更ジタバタしても遅いよね」。てな具合で、その一日をなかったことにする。「晩御飯は、から揚げかな」。

それが、気がついたら昆布のようにゆらゆら踊っていた。照明を消したキッチンで、誰に頼まれるわけでもなく、今日というかけがえのない一日に、いい出汁をくわえている。なにがあった?

台風来るぞ来るぞで、閉め切った部屋。微妙な気候でエアコンかけるのも憚られる。蒸しているが暑いって感じじゃない。扇風機の風もぬるい。いつもの「やり過ごす」に、輪をかけて、追い込まれているはずだ。一生懸命、現実逃避してるはずだ。

キッチンをウロウロする。「お菓子のクッキー、あと一枚か。明日、午前と午後のおやつのために、半分に割って食べるか、とほほ」。と、何げなくクッキーが入った透明の入れ物を見る。

「えっ?割れているっ」。クッキーがアホな主人のために、みずから割れて、待ってくれている。こんな奇跡、こんな嬉しいことあるのか。気がついたら、ゆらゆら踊っていた。

さらに、「そういえば、ずっと首回りが凝っていたけど、踊っても気にならない、痛くないじゃん」。踊りがヒートアップする。「踊ってるぞ、なんか踊ってるぞ。止まらないぞ」

もっと踊ろうとしたら、なんかアホらしくなる。缶詰の一日という現実が踊りにストップをかける。午後4時になると、踊ったことも忘れて、晩御飯の準備を始める。

割れたクッキーでスイッチが入るなら、心がけしだいで、なんでもスイッチが入るのでは?その天才が子供だろう。ただ、自分を面白がれるのは、客観性を持った大人だけ。

PS

割れたクッキーの形。午前用と午後用、キレイな台形で均等に割れている。すげーな。あとの4枚は無傷だし、プラスチックのケースに入ってたし。ありがたい。

30日「あれ?さっきまでいたかね、ホクロくん」

トイレでだらりと手を伸ばして一息つくと、見覚えのないそれが、LEDのライトに浮かび上がっていた。

夜中、豪雨の音で目が覚める。「キッチンの窓、開いてるわ。閉めんと」。夜、起きる=だいたい、尿意を催す=トイレで目が覚める。この悪循環はワンセット。だから起きたくない。窓枠が濡れるのも、濡れながら窓を閉めるのも、閉めなくて後悔するのもめんどうだ。起きるか。

窓を閉める。暗がりで分からないが、たぶん、窓枠は濡れていない。風向きの問題なのか、ちょっとした雨でも濡れるから、閉めるタイミングが掴めない。

案の定太郎で、尿意。織り込み済みだから、抵抗なくスムーズにトイレに向かう。「はいはい」。寝起きの「もたつき」がない。すでに、目が半分覚めている。寝直すのか。すぐ寝れるのかどうか、寝てみないと分からない。

トイレは大小、座ってする。掃除が大変だから。立ち小便は、トイレ掃除をしない貴族発想であるのである。さっさと済ませて寝るか。

座ってぼんやりしていると、腕に見覚えのない黒い点がある。「ん?」。寝起きの頭で、寝起きの瞳孔でその黒光りした物を凝視する。寝る前まであったっけ?ホクロ、誕生。

その瞬間には立ち会えなかったが、ホヤホヤなのは確か。いきなり、完成形なのか。薄茶色とかで「徐々に黒く」とかじゃないんだ。他のくすんだ老舗ホクロとは、一光も二光も違いますな。

これが目立つ位置だったら、ハッとして目が覚めるかも。中学生でもなるまいし、そこまでじゃないが、受け入れるまで時間が掛かっただろう。ま、いいか。

でもバイトでレジのとき、黒光りして目立って気になって仕事にならないかも。すぐ慣れるか。しばらく、ホクロ違和感はありそうだ。

台風で一歩も外に出ないで、ホントに何もないと思って油断したら、ホクロという日記の芽が、腕のやや目立つところに生えていた。ありがたいやら、戸惑うやら。

PS

一夜明けて、例のホクロを見る。そんなに黒光りしてないし、違和感もない。一見さんじゃない?そうか、寝起きの頭と瞳孔でそう思った、そう見えただけか。たぶん、たぶん、そう。

31日「黒いマジックペン」

のインクが指先について、まるでホクロだった。

気がついたら人差しの側面にポツンと黒い点があった。黒マジックで書き物をしたときに、誤って付いたのであろうが、昨日のホクロの総括もおわらぬうちに、またぞろの偶然に驚く。

これはホクロではない。マジックである。が、キレイにホクロに見える。手を伸ばして商品を受け取ったり、レジ袋に詰めるたびに、それが目に入って仕方ない。イヤではない。だってニセモノだもの。

ホンモノだったらどうする?分からない。考えるほどのことでもない。「珍しいとこにできたなあ」でおわりか。生命線にホクロができたら、行く先の我が身の不幸をおもんばかるかもしれない。

ニセモノとはいえ、ものの10分ぐらいで気にならなくなる。あきたか。慣れたか。この適応スピードに眉をひそめる。昨日の話の流れでこんなにおいしい、ありがたいことはないのに、なんて恩知らずな。

所詮、マジックインクのホクロ。昨日の話の流れがあればこそで、はたから見たら、ただのマジックの点、そそっかしい奴でおわりか。

ボクにとっては特別な黒い点「ホクロもどき」。誰も知るまい。「あっ」。たび重なる手洗いでマイフレンドが消えかかっている。あと数時間で跡形もなくなるだろう。

PS

翌朝。この日記を書いている。その人差し指に彼はいない。目を閉じても、浮かんでこない。

つぎ、同じとこにマジックが付いたとき思い出せるか、その余裕を持っているか。

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