1日「まさかの4か月目、まさかのPV4、まさかの有料化」
そして、誰もいなくなった。

一か月、税込み200円です。3か月分のサンプルを用意してあります。
ご近所のみなさんをお誘いのうえ、お越しください。
有料化したからと言って、なにも変わりません。
これからもよろしくお願いします。
PS
有料化について。いろんな手間を考えると1000PVを過ぎてからが良さそうです。おかげ様で1か月「2PV」は達成できそうです。そうしますと、1年で「24PV」、1000PVまで「41年と8か月」かかる計算です。その節は、よろしくお願いいたします。 やまま
2日「それでもお父さんは、交通ルールを守る」
それでもボクは、交通ルールを守るお父さんを見守る。

隣にいる娘は苦笑いだったが。いつもすれ違う親子。すれ違ってた親子。久しぶりに見た。いつもお父さんは、小学生の娘と一緒に通勤、通学していた。娘は少し照れてる様子だったが、お父さんは、娘の成長、娘との会話を心の底から楽しんでいた。こっちが気恥ずかしいぐらい。
お父さんは、娘が社会の道から外れないように、いろいろ教えているようすだった。いつもすれ違う、しまりのない顔した男には特に注意するように。
娘も大きくなるにつれて、照れがなくなってきた。世間とズレたお父さんの行動が、自分のためだと分かって、やさしく合わせてる感じ。お父さん、それに気づいてたかな。
それが、ここ数か月、親子とすれ違わなかった。ボクは時間も道順もまったく同じ。しまりのない顔、しまりのない頭で考える。「ああ、そうか。娘さん、卒業したな」。
お父さんも一緒に、会社を卒業したのか。全然、お父さんともすれ違わない。一人になって、しおれちまったお父さんを見てみたいような、見たくないような。たぶん、会社は違うところにあって、娘に合わせて、この通りを歩いていたんだな。
ところが今日、いつも親子と向かい合って待っていた小さな交差点に、その親子が待っていた。目の前を横切る道路は道幅が2メートルぐらいあって、車もそこそこ通る。でも、お互い歩いてきた道幅は1メートル数十センチしかない。ほとんどの人が歩いてくる途中で、進路変更して渡ってしまうような、ほぼ信号がいらない道。というか、気づかない。
そこで、親子が信号待ちをしていた。娘は中学生の制服を着ていた。やっぱり。お父さん、まだ一緒ですか。ボクは2メートルの方の信号を渡った。親子は1メートルの信号を待っている。このまま、まっすぐ進んだ先に中学校があるんだな。お父さん、会社どこ?
2メートルの通行人も、1メートルの通行人もつつがなく通りを行き来していく。親子だけ、ポツンと取り残されている。お父さんは、じっと信号を待っている。娘さんは、お父さんの真面目さを持て余しているようす。
お父さんの卒業はいつの日か。もう少しだけ、親子の人生を見守らせていただきます。結婚式とかどうなっちゃうの?
MEMO
「やかん麦茶」が人気。
素材が一緒だから、
これで「やかん麦茶」が再現できるよね。

PS
お父さんも、少しバツが悪そうだ。「学校が慣れるまで」と、妻と娘にお願いしたのかな。

3日「やる気ないけど、いろいろしてた日」
朝から暑くて、なにもしたくないから、一日ゴロゴロしてるつもりだった。

やる気ないけど、休みの初日は掃除デーだから、しかたなく掃除してた。自分の部屋じゃなくて、キッチンとか階段。やる気ないけど、ゴミ出しの日だから、ゴミ袋を持って外に出て、タバコの吸い殻をつまんでつまんで、ゴミを出した。
やる気がないけど、日記を書いていた。「そういえば」と、前日の日記の写真を撮るために、鍋をブリーチして洗って洗って写真を撮った。前日の日記で書いた麦茶のネタのために、朝10時、余裕で30℃超えてるのに、スーパーに行って麦茶のパックを買った。
バイトでロングヘヤーも金髪も剃りこみ坊主も禁止されていないが、自発的に散髪に行くことに決めた。1000円バーバー。理容師さんは、いつもワンオペで頑張ってる。昼めしどきは行くのやめよう。2時ぐらいまで寝転がって待つか。
「そういえば」と、図書館で借りてる本の一冊に、予約が入っていることを思い出す。読んで読んで、読み終えて返そう。2時になった。外に出る。完全な真夏(梅雨空付き)。散髪に行く。さっぱりして、気持ちよかった。
そのまま髪の毛を洗いに銭湯に行く。「バキッ」と音がする。気のせいにして、頭を洗っていると、「イタッ」となる。すわってる椅子が15センチほど割けて、その間に、お尻の毛がはさまっている。たぶん、ヒビが入っていたところに、とどめを刺したか。よりによって、60キロも体重がない男がトドメ。限界だったか。
それはいいけど、そのまま放置もできないし、番台さんに持ってくのも大袈裟か。間違って次の人が使って、お尻の毛「イタッ」で済めばいいが、パックリ割れてお尻の肉がはさまって抜けなくなったら大変。ま、それもないか。
日当たりのいいところにゴミ箱がある。その隣に割れたイスを置く。間違えて使わないように、イスの真ん中の穴に、生け花でもさしておこう。おじいちゃんが使い終わったシップを割れたところに貼ってもいいか。
図書館の予約本を読み終わって、本を返しに行く。風呂に入ったばっかりなのに、汗だくになる。明日でも、もっと夜でもよかったけど、今日の18~20時に、例のハンコの再配達をお願いしている。
その前に、ヒマなカレー屋さんを応援するためにケパプを食べに行く。忙しかったらしく、テーブルの上も備品も、ランチタイムのなごりだらけ。役目は終わったか。チーズケパプを食べる。うまい。
30分くらい前から、ハンコを待つ。ケパプが睡魔を呼ぶ。寝ちゃダメ、ハンコがハンコが来るよー。と、ハンコが届く。ハンコの文字の大きさ、ほぼ完ぺき。ただ、ブツが小さい。うーん。どうなるか楽しみだ。
「そういえば」と、日記に使う写真を撮りに行こうとする。有料化で意識が変わったらしい。窓を開ける。まったく、涼しくなってない。暑いっ。無理っす。
日が暮れる。行くか。くたびれたシャツを着て、デジカメを持った中年男は不審者でしかない。今日はこれぐらいで勘弁してやろう。寝転がって考える。やる気がない、なんにもしないつもりが、それなりに楽しい一日だった。なぜ?そして気づく。
全部、人のため。
PS
理容師さん。おしゃべりだったけど「コロナから無口になった」という話を書いた。今日はカットしている椅子の前に張り紙がある。「私は咳をしますが、これは喘息で、うつりません」といった内容。
理容師さんの「生き」苦しさが伝わってくる。前髪を一部、切り忘れていたけど、まあ、大丈夫です。
4日「アジサイがあった、あった」
アジサイのためか、エアコンの風から逃げるためか。とにかくボクは部屋から脱出した。

もはや都心の夏の昼は、外に出られない。そうなるとエアコンをつけて、家にこもる。エアコンで締め切った部屋で食べるおやつは、味気ない。気分転換に窓を開けると、「もわっ」と熱風が顔を覆う。
なにか外に出るきっかけがないか探す。そういうえば、6月の表紙に使うアジサイの写真を撮るのが、延び延びになっていた。捕まるかもしれない。今日は昨日よりもくたびれたシャツを着ている。まだ、日が残っているうちに出かけよう。
デジカメを持って外に出る。アウェーに出かける感じがする。「え?デジカメ?」とスマホを持った人たちからの目線が刺さりまくりそうだ。裏側の液晶画面を見せるように持って、スマホ感を出したりする。負けじゃん。
公園に向けて歩く。交番の前を通らないといけないと気づく。散歩する人たちに紛れて、通り過ぎる。みんな、散歩してるな。涼しけりゃいいってわけじゃない。暑くても外の空気に触れないと生きている実感がない。お年寄りが多い。熱中症には気をつけて。
ところが、いいお目当てのアジサイがバッサリ切られていた。途方に暮れていると、容赦なくやぶ蚊が襲ってくる。かゆい。追い払いたいけど姿を見たくない。見たいのはアジサイだ。
どうしたもんかねと、ウロウロしていると、一輪だけ切り残しのアジサイを見かける。だいぶ枯れているが、やぶ蚊は待ってくれない。シャッターを押す。アジサイの数より、やぶ蚊に刺された箇所の多いというオチか。
枯れた一輪アジサイじゃ、ちとさびしい。
一か所だけ思い当たる節があって、そこに向かう。
ズバリ、図書館の掲示物。
あった。アジサイの折り紙。
さすがに、シャッターを何回も押してる姿を見られたら通報されそう。
パシャっと撮って逃げるように去る。

枯れたアジサイと折り紙か。とほほ。帰ろうとすると、普通にマンションの植え込みにアジサイがある。しかも、3か所も。図書館の真向かいにあったマンションが一番きれいだった。「きれいなアジサイですねえ」と笑顔で撮影する。誰も見ていなません、が、どう見ても不審者だよね。
いろいろキョロキョロしながら歩いていると、住み慣れた町でも知らない場所があると気づく。夜のとばりの雰囲気もいい。下町だから入り組んでいて楽しい。
アジサイに誘われて入った狭い路地。見たことない建物はもちろん、2階からハトだろうか、「ポッポッポッ」と聞こえる。どう見ても人間が住むような作りの建物じゃない。ハト、飼ってるのか、住みついてるのか。
そして、岐路につく。スマホを持って歩いてる人たちとすれ違う。コンプレックスのようなものは消えている。こちらは作っているな。ただ、厚かましくなっただけか。
アジサイを撮ろうと思ったのは、間違いなく有料化がきっかけ。いや、有料化も口実か。いずれにしても、ネタのために何かしたことはない。これからも、ないだろう。
キラキラもギラギラもしてない日記ですいません。
MEMO
おやつは○○。一番暑い時間におやつを買いに行く。アイスクリーム屋さんの前に子供たち。誰も暑そうじゃない。ボクも、暑くない。あやつは暑さを忘れる。「おやつは別肌」か。
PS
家に帰ってさっそくエアコンのスイッチオン。おやつが、うまい。
5日「銭湯力」
35℃の日は銭湯に行くと、戦闘力を奪われる。

家から銭湯に行くまでが、すでにサウナ状態で、銭湯にわざわざ行ってサウナ券を買う理由が分からない。ボクはサウナを使わないが、汗をかきに行くという娯楽か。習慣って思考うんぬんじゃない。
銭湯を使い慣れている銭湯力のある人は、くつ箱の木のカギで戸惑ったり、番台で小銭を払うのにもたついたり、ロッカーの位置が風呂場から遠すぎて、風呂から出て床を濡らしたりしない。
風呂場に入って混んでいてても、すぐに空いたスペースを見つけるし、どれだけ隣と距離を開けて座ったらいいか分かるし、備え付けのシャンプーとの位置関係も大事。
シャワーヘッドの位置をバンドのボーカルみたいにすばやく調整して、鏡が曇っていたら吹いて、神経質な人は、いろんなところをゴシゴシ洗う。
でもなにより、すぐに風呂から出てい人のとなりに座れば、すぐに隣に人がいなくなって、のびのび体が洗える。混んでいるとき、この見極めが最重要で、難しい。
風呂に入ってる人が洗い場に戻ってくるタイミングは、運だろう。ただ、体を洗って風呂に入るのがマナーだから、いずれにしろ、出ていくときは近い。
もう一つ難しいのは、放置されたイスと桶を片付けるタイミング。入ってきたときから出ていくときまで無人で放置されていたら、ほぼ、片付けないで帰っていったと考えていい。でも、たまに手に取った瞬間に、主が帰ってくるときもある。どこにいたの?
風呂で体を洗うのは、長年の習慣でほとんど無意識。頭から洗う人とか、腕から洗う人とか。違和感がないのがあたりまえ。ホント、みんな違う。泡の量とか、雪男みたいな人もいる。
でも昨日は違った。洗う順番はいつもと同じだが、動きがぎこちない。洗いながら汗をかいているバカバカしさもある。とにかく、暑い。一つの動作が終わるたびに、肘をひざの上に置いてため息をついている。それでも洗い終わって、風呂へ。
今日はぬるい方の風呂でやめよう。と思うが、習慣で、あるいは入らなきゃ損だと、熱い方の風呂にも入る。習慣は、おそろしい。芯まであったまってどうする。
洗い場で冷たい水をかぶって体温を下げる。目の前の鏡に、熱い風呂に向かっていく人が映る。〇×クイズで間違った答えに突入する昔のバラエティーを思い出した。
風呂から上がると、タオルで顔覆った人がうなだれて座っている。作業着を着たオジさんが呆然とエアコンの前に立っている。女風呂から子供のはしゃぐ声が聞こえる。
男2人はその声を聞いて「はっ」と我に帰る。一人は外へ、一人は再びサウナ室へ帰って行ったとさ。
MEMO
扇風機を出す。あなどっていた扇風機の威力。エアコンに頼りすぎていたな。朝起きたら、32℃。それでも扇風機でいけた。でも、やっぱり暑い。お互い、うまく使いましょう。
PS
男風呂は、無言坂なのだが、今日は輪をかけて無言坂。と思ったら、「ワンちゃんがどう」とか話をする老人が二人。会話が宙に浮きまくっていた。
もう一人の男はエアコンのすみに立っていた。二時間ぐらいはいるつもりが、やめた。エアコンの風は、風呂から出てきた戦士たちのために。
6日「ゲリラとヤドカリ」
バイトから帰る前から、外は異様に暗かった。それより、頭痛のため早く寝たかった。

一本道をひたすら歩く。空は雷の音と光が覆っている。稲妻が、少し遠くの雲から地面に向かって落ちる。「まだ、大丈夫」と言いきかせながら、とりあえず駅まで急ぐ。たぶん、家までもたない。
狭い道に入る。駅まであと100メートルもない。生ぬるい風が吹き抜ける。そして、雨が横殴りで降り始める。「もうちょっと」。猛烈な雨が降る。風も荒れ狂って吹く。
「こりゃ、ムリ」。慌てて逃げる場所を探す。狭い道の終わりにマンションとコンビニの駐輪場がある。正確には「階段下」といったあんばい。贅沢は言ってられない。自転車を避けて、奥に、奥に。といっても階段下、1メートルちょっとしかない。
さらに強い雨と風。ぜんぜん、濡れる。仕方ないから傘をさしたまま、その場にうずくまる。それでも濡れる。風が吹いてくる方に傘を向ける。まるで、ヤドカリ。
雷が真上で鳴る。破裂音で胸が張り裂けそうになる。ホント、そんな感じ。目の前の古い建物の雨どいの出口が、狂ったように踊りながら排水している。屋根の雨どいからも、雨があふれている。どうなっちゃうの。
「こつん、こつん」と音がする。ミートボールの1.5倍ぐらいの雹(ひょう)がボトボト落ち始める。「あ、ひょうだ」。思わずに身を乗り出そうとする。雷と風と雨が、そんな浮ついた気持ちをすぐに吹き飛ばしてくれる。
その間も、人がときどき前を通っていく。今はヤドカリでしょ。「こんだけ濡れたら、気にならない」。分かるけど、濡れるというレベルの問題か。オバちゃんが一人、来る。長くて深い水たまりの前に立ち往生。と、ヤドカリ男を見つける。オバちゃんも少し離れて隠れる。
雨が小降りになる。頭痛が帰ってくる。この状態がいつまで続くのか。こうなるとゲリラよりも、頭痛が気になる。思い当たる節がない。
数分後、バカみたいに明るくなって、晴れる。オバちゃんに会釈して出ていく。ゲリラに遭った人と、遭わなかった人、ギリギリで難を逃れた人の変なテンションが、駅前を交差している。
ボクは一番おいしかった。でも運がよかっただけ。階段下がなかったら、ずぶ濡れ。すさんだ目をして、駅前を通り過ぎただろう。
帰って寝る。頭痛が治らない。うずくまって耐える。また、ヤドカリになる。あ、高山病か。暑くてマスクをしたのもいけない。かなり、息苦しかった。でも、この痛みはその昔、ワインを飲んだときにも似ている。アルコールを体に入れた記憶はない。
アルコール消毒をし過ぎたか。それにカフェインの強いコーヒーを飲んだような。ますます痛くなるが、似たような経験を思い出して、「じきに治るだろう」とヤドカリは安心して人間になる。
MEMO
「ゲリラ雷雨」ではなく「スコール」というのがたぶん、これからの日本の気候を考えると正解か。「ゲリラ」という表現も違うか。5分後の天気も、予報で分かる。「急な悪天候」?「スコール」でいいか。
PS
朝、頭痛は痛くも痒くもない。ゲリラも遠い昔か。靴を乾かして、日記。
7日「いろいろあったけど、特に何もない日」
朝にメールが届いていた。正確には昨日の朝らしい。携帯は引き出しにある人です。

兄から「用事があるから〇〇日に帰れないか」というメール。こっちはないけど、帰郷をかねて「帰る」と返信する。この用事メールは5月の末ぐらいに届く予定だったが、延びすぎだろ。
おそらくここで、今後の話をするだろう。親父の車をどうするかとか。ボクのために捨てないでとってあるけど、維持費も手間もなかなかのもの。数十万か。一台キレイな中古が買えます。
今後の話にしても、特にいまさらというか、相手がノーといったら違う方法を考えるだけだから、結局、メールが来て慌てることもなかった。「遅いよ」ぐらい。でも、ちょっと詰めて考えるか。
バイトのシフトで相談があった。パートさんの都合で残業して欲しいとのこと。残業とかありえんけど、ま、お世話になってるパートさんだし、イヤなら辞めればいいし、ボクしだいのことはなんとでもなるな。むちゃなシフトだけど、いろいろあるんだな。どっちでもいい。
そして、終わりは都知事選挙か。これだってどちらにしても時代は変わらんだろうな。一時的に混乱して動きが遅くなるか、そのまま進むか、ちょっと早くなるか、ぐらいか。穏やかな動きでいいのでは。
つまり、これからの個人の生活に、政治できること、ほぼない。受け取れるお金の増減ぐらいか。そういう時代じゃない、ということ。
さて、明日はなにかあるか楽しみだ。ボクとってだけど。
MEMO
汗だくの選挙。座って投票を見ている人たちは、なにを見ているのだろう。入り口の本人確認のテキトーさ。「〇〇さんですか」、「はい」、「どうぞ」って。コンビニの財布の忘れ物でも、もっと本人確認が厳しいけど。
PS
兄のメール。2週間後が今週、つまり明後日に帰れないかというメールが届く。どっちでもいいです。
8日「なんで、こう、実家に帰りたくないのか」
やることがないからか、親の老いていく姿が見たくないからか。過去だから、だろう。

過去に興味はないらしい。地元といってもいい。写真もないし、思い出の場所もないし、友達もいない。家族ぐらいか。ホームシックとは無縁の人間です。
同窓会というのは、その最たるもので、過去を振り返って、昔の自分たちを楽しむ会。もちろん、参加はしない。なにが楽しいのか。あと40年したら、それなりに楽しそうだが。
それよりも、日常が切り離されるのが忍びない。帰省というイベントがそもそも分からない。なにかあれば会いに行けばいいだけ。それぞれ、別の人生を歩んでいるし、歩むべきだろう。
帰るたびに強まっていく親のプレッシャーというのもあるか。40過ぎたら、あきらめて。反発もしないし、なるようにしかならないよ。子供が80歳までのローンを組む姿を見て、なにを思うか、おっかさん。
そのための帰省。楽しいわけがない。日記も書くヒマがないだろう。パソコンを持ち歩く趣味はない。テーマをメモすれば充分だろう。そのための小さな切り餅ぐらいのメモも買ってある。
「日常の延長」というなら、ありか。日常と切り離されたイベントはいやだ。切り離したい日常って?
MEMO
スゴく売れている紅茶。めちゃくちゃ早く反応する組。そうでない組。反応しない組。割り合いは1:6:3。それから3が6の方にゆっくり移動して1:8:1なる。だいたい、なんでもそうみたい。
PS
兄からの返信がない。「気づかなかった?」というメールは打つべきか。縁が切れてもいい覚悟でスルーした。
9日「帰省の準備」
持ち物、印鑑とマイナンバーとお金。あと天気が悪そうだから、しぶしぶ傘。

40越えのおっさんの実家に、パジャマも下着も全部ある、は賛否両論か。だから、なにもやることはない。朝、少しバタバタするか。
ゴミ出しのタイミングが違う。早いから、カラスに中身を気取られないように、いろいろ化粧をしなければいけない。化かし合い。といっても新人のカラスのいる時期ではないから、だいたい縄張りがあって、「この家はなんもねえ」と眼中にないだろう。
これは便利なので、みなさんもカラス対策だけでなく、消費対策でも、チラシ投函などの被害に遭いにくくなるのでおススメです。
「明日、帰る」という気持ちだけが大きな荷物か。それも40越えて、なくなってきた。なにを言われても、聞く気がないからだろう。
年老いた母親に会うのも慣れたな。70過ぎたらさすがに老人だから、ということはコッチはオジさんだから、つまり、そのあきらめが出来てきたということ。
それより電車に乗るのが半年ぶりだから、満員電車とかイヤだな。たまに乗ると、観光名所みたいな気分だけど。あの人間の詰め込みは、非人間的な、20世紀の負の遺産そのもの。
コロナからテレワークが進んだから、ホントの満員電車はないだろう。いや、でも、新幹線の駅まで一駅だから耐えよう。
PS
小さなメモは置いていこう。テーマだけ覚えてればOKさ。
10日「諸行無常の地」
実家に帰るよりも、父親の墓参りより、更地になった父親の実家に行く。

優先順位が違うか。とにかく、それを見に行く。その前にパン屋さんがあると聞いて、行く。また優先順位が違うか。主人が寝ている。まったくお客が来ないのだろう。起こしたらマズいというより、来て損した感が……。たぶん、厳しいだろう。
それでも、これから地元になるかもしれないので、挨拶がてらパンを買っていく。会社を引退してあこがれのパン屋を開いたという感じ。職人というより、福祉の人。朝から暑いっすよね。
店舗も内装もレジスターも、全部が新しいが、それが期待値を下げてくれる。味はちゃんとおいしかったです。でも覚えてない。なぜか。諸行無常の地に立ったから。
父親の実家跡。半年前も来た。更地にしたばっかりで何もない。諸行無常というとり、ただの更地。広いな。いろいろ遊べそうでワクワクした。兄貴が土地をくれたらだけど。
それが半年後。諸行無常の地になっている。雑草がそこら中に生い茂っている。それが土地の大きさを分かりづらくして、「あれ? 前より狭い」と遊びのプランが沈む。
1~2メートルぐらい進むと、ズボンにくっ付き虫(雑草の種)がついている。ひさしぶりに見たな、あはは。内心の動揺をごまかしながら、それでも進む。
頭の上をぶんぶん、虫が飛ぶ。「カナブンが珍しもの見たさで来ただけさ」。しつこい。どう見ても野次馬的な動きじゃない。
もしかして。後ずさりして来た道を戻る。ぶんぶんが聞こえなくなる。振り返ると、あしながバチが「もっと近づいたら、刺すっ」とコッチを一瞥して去っていく。巣があるのか。
くっ付き虫の雑草を避けながら来た道を戻る。コロコロしたウンチがまとまって何か所か落ちている。「え?野獣?」。半年で野獣のトイレになっている。ウサギではないだろう。イノシシか?
くっ付き虫の取りながら「半年でこれだけ変わるか」と暗澹となる。手に持ったパンを食べながら呆然と更地を見る。植木も伸び放題。これが諸行無常か。パンのおいしさが、辛うじて沈んだ気持ちを支える。どうすんだ。もう半年したら……。自然って怖いんです。
移住計画の白紙撤回か。墓参りも身が入らない。引退した和尚さんがガーデニングをしている。ホント、日々の手入れですよね。
実家に帰ると、目の前に兄貴の家が建っていた。街で過ごすのは、楽ではある。
PS
どちらにしても、秋が終わるまでは無理だろう。ハチと野獣と雑草、真正面から戦ったら余裕で負けます。
11日「なにもすることない」
寝てれば、ご飯が出てくる。食べたら、寝るだけ。楽しいわけがない。

ということで、ホントに書くことがない。14時に銀行さんが来てハンコを押して終わり。肝心の兄貴が仕事で来れないという体たらくだが、知ったことではない。仕事は終わった。
兄貴の嫁さんが代わりに来たけど、何もすることはない。嫁さんとは6年ぶりか。3歳の甥っ子とはまだ会ってもいない。「連れてくる」とのことだが、不自然なセッティングは、お互いストレスだから避けよう。
おやつを三人で食べて談笑して別れる。嫁と姑のなんちゃらがなくて、ホッとする。ウソです。ボクには関係ありません。
夜9時。兄貴が挨拶に来る。いろいろ車とか、土地のこととか話したいが、残業帰りの姿を見て、何も言えず。35年ローンという最終兵器。残業も断れない。なんだかなあ。
12日「地元の変化、テレビのある生活」
をした。変わってるようで変わってないな。トイレのドアノブが壊れてたぐらい。

家の目の前に兄貴の家が建っていたけど、いままでも、隣に家があったから、距離が近くなったか遠くなったかの違い。コッチのアパートは、両サイドが1メートル前後しか離れてないから、実家の前に兄貴の家があろうとなかろうと大差ない。違和感なし。
母親も弟も、時が止まったように変化がなく、同じような生活をしている。でも着実に年を取っている。これから、どうなるのか。おっかさんの認知症予防の本が増えてた。
テレビに関しては特に言うことないけど、ま、同じ。ネットほどではないけど、ほぼ宣伝。公共放送もしかり。率は増えたか。露骨になったと言うか。
ホント、出てる人たち、レギュラーというか、みんな同じ顔ぶりなんだけ、こうして半年ぶりにテレビを見ると、みんな年を取ったなと思う。知らぬ間に亡くなってる人もいて驚く。
劇的に変わったことがあった。父親の実家の更地もそうだけど、バスの運転手さん。いままで100%男だったけど、今回は50%になっていた。半分、女性。しかも、若い。
マニュアル的には毎回、「停車します、発車します」って言うのか。女性の運転手がマイクでやさしくアナウンスしてくれる。男の運転手でそれ、聞いたことない。選べるシステムなのか。行き先も生声で新鮮。自動音声はあれはあれで独特だけど。
雨の中、帰る。母親にこれからのことを話そうとしたけど、特になにも言わなかった。いろいろ聞きたいようすだったけど、コッチも聞かれたら話すけど、なるようになるってスルーした。ボクより洗濯できない弟、疲れている兄貴、そっちを心配したほうがいいよ。
PS
バスはだいたい、病院の前で止まるか、アナウンスで宣伝が入る。乗客が病人だらけに見えてくる。
13日「コッチも変化なし」
三日で世界が変わることないけど、別人になることないけど、日常がズレている。

アパートに戻ってもどこか浮いている。セットの中を歩いているというか。持って行った荷物を戻したり、シャワーを浴びたり、着ていた服を洗濯したりして、違和感を消していく。落ち着くと目の前に日常が戻ってくる。少しだけ変化した自分だけ残る。それも時間の問題。
いつもはそのまま日常に戻るけど、今回は移住のことを考える。「ココにいつまでいるのか」。あとはやるか、やらないだけだから、知らぬ間に寝ている。どっちでもいい。
バイト先でボクが辞めるかもしれない話がひろがっている。誰から聞いたんだ。引くに引けない、わけではないけど、辞めるのは決まりだから、お茶を濁さずに話す。数分だけ混乱が続いて、終わり。そんなもんでしょ。
みなさんはみなさんの日常を大事にしてください。
14日「帰り道の選び方」
できれば、誰ともすれ違いたくない。でも気がついたら、駅前を通る近道を選んでいた。

帰り道ぐらいは静かに帰りたい。それが「近い早い」という理由で、人がごった返している駅前を目指して歩いている。
気づいたところで、引き返せばいいのに、そのまま進む。前回、ゲリラ豪雨のときにこの道を通って帰った。あの時を基準に考えると、どうってことない。
食わず嫌いならぬ、通らず嫌い。そう言い聞かせ歩く。なかなか開かない踏み切りを待つ人。改札から早足で降りてくる人。走って駅に来る人。踏み切りが開いて、縫うようにすれ違う人。ストレスの渦。
やはり、駅前は辞めるか。惰性は距離に比例する。気づいたら、その場で止まろう。
15日「分からないストレス」
から逃げるために、スマホがあるのか。「だから、考える」が、人生と思えるが。

バイト中、常連のお客さんが「買い物ついで」じゃなくて「教えて欲しいついで」に買い物にやって来た。
スマホで買い物をしたが、「決済の方法がいつもと違う」とだいぶテンパっおられた。アイスを買っていたから、そのことがまず気になった。アイス、溶ける前に解決するか。
すでに分からないストレスで声が上ずっている。それがコッチに伝わって、少し及び腰になる。頭のいいお客さんだから、それでも分からないとなると、たぶん、コッチも分からない。
パートさんを呼ぶ。「何回もここで買い物してるのに、なんで今回はダメなの?」とコッチに言われても分からない。パートさんも分からない。分からないストレス、そのもやもやで居心地が悪い。あきらめて帰ってください。ココはどう見ても、ただのコンビニです。とも、言えない。
なまじ知っている、ということがネックになる。そこが間違い。だから、虚心に一から考えよう、調べようと思わない。「調べても分からない」は思い込みがある状態だから、調べ方が偏ってしまう。もちろん、ホントにダメなときもある。それだって、思い込みかもしれない。
「チャットで地味に一から聞いていけば」と促す。チャットというものを使ったことがなかったから興味もある。オペレーターが生で対応するのかな。どうも違う。初歩的な質問が順繰りに出てくる。
それでも、なんとか「分からない」の正体が分かりそうだ。すでに20分は過ぎている。掛かりつけの病院の先生でもこんなに対応してくれるか。
「あ、これか」と思える答えを見つける。また間違い。なまじの知識とストレスがで、早とちり。もう一度、やり直し。「こういうことでは?」の提案も、聞いていない。早くストレスから解放されたい。コッチも同じだけど、他人事だから、そこまでじゃない。
さすがにパートさんも辟易して、お帰りいただくよう、やんわり促す。お客さんも、ざっくり方向が見えたからか、「ごめんごめん」と帰っていく。その間、他のお客さんは来ない。祭日の朝の出来事。祭日の朝に、もやもやを連れこんでくれて、ありがとうございました。
PS
そのあと、「無事に決済できた」と、買い物がてら知らせに来てくれた。お疲れさまでした。
16日「〇〇を連発する社員の子」
英語だと〇〇〇〇・ユーか。アメリカ人化しているのか、昔っから日本人もそうなのか。

若い社員の子がその言葉を連発して、本人は〇〇楽しくないのだろうけど、コッチはなんか楽しかった。ホントに板についた感じじゃないところも。○○は切れがいいに越したことはない。はい、すいません。
この言葉を選ぶというのは、思考放棄か。具体的にどうイヤなのか考えたくない。とにかく、イヤだ。気持ちは分かるが、言語化して冷静に分析するのは大事だろう。結論通りには行かないけど、〇〇を連発する自分を落ち着かせるぐらいはできる。
それより、若い子がこう日に日にすさんで行くのは、見ていて忍びない。40過ぎのフリーターにアドバイスする言葉はないが、聞かないとも思うが、たぶん、他人に期待しているからだと思う。
シフトのことが主だと思うけど、シフトを管理する人間はできるだけ人件費を安くすませることを考える。「自分のシフトを減らす、シフトのメンバーを増やす」という希望通りにはいかない。ベクトルが逆。そこをどう折り合うか。
管理する人間も少し、考えないとマズいか。普通に来月、若店長が辞める。入社1年と4ヶ月。「このシフトでイケる」という基準が、昔と違う。ココも折り合いがいるんだけど、あまりに辞めるスピード、辞め方のワガママさに、思考の切り替えが追っつかない。
3人シフトが1人になる。1人は病欠。「ウソだと思ってるんで」。1人はダブルワークで遅刻。「ウソだと思ってるんで」。社員の子の反応。「そういえば、そうかも」と納得してしまう。
そして、冒頭の〇〇の連発。その前に、腹の中で数百回は吐き出していただろう。「〇〇どうでもいい」と、最後につぶやく。
「〇〇」と「どうでもいい」は別物だろう。「どうでもいい」だけでいい。出来れば、バランスよく「どっちでもいい」まで持っていければ、なおいい。
若いからまだ世界に期待している。それよりも、自分に期待しよう。
PS
パートさんは「ぼっち」という言葉を連発していた。そんなタイトルの商品が並んでいたのが、きっかけ。続けて「私みたい」。「友達がいない」といった商品もあったな。まだ「孤独」が売り物になるらしい。あたりまえだと思うが。
17日「焼きそばの材料」
は完ぺき買い揃えた。が、お米を買い忘れた。

もはや非国民か。焼きそばが主食の国なんてあるか。「飛行機から降りたら、ウイスターソースの匂いがしました」。
スイスイと買うものが頭に浮かんで買い物かごに入れた。前回の反省が生きている、生きまくっている。めんどい思いをした甲斐があったな。もやしのために、右往左往したくない。
いつもの「有機もやし」がなくてペースが乱れる。一面、山盛りのもやしから「大豆もやし」の見た目の荒々しさに目が止まる。それはそうと、もやしってこんな売れるのか。期限短いぞ、大丈夫か。ボクは大丈夫。期限過ぎてヌルヌルしても、焼きそばに入れればカリカリさ。
今回はお肉もスーパーにしよう。前回もスーパー。バラ肉じゃなくて、こま切れを食べて、固かった。これはスーパーの問題なのか、部位の問題なのか、肉屋さんと雲泥の差だった。どっちなんだ?ちゃんとバラ肉で比較しよう。
バラ肉のグラムが微妙に足りないか、多い。200gでいいんです。グラム売りだから10円1円単位の差が気になる。少しぐらいグラムが足りなくても、目先の安さに引かれる。1980円(いちきゅっぱ)も2000円も同じでしょ。たった20円の差。繰り上がると大きな差に見える。でも、ほぼ同じ。190gも200gも同じね。190gにしよう。
お会計を済ませて店を出る。横断歩道を渡って今日の買い物の完ぺきさに酔っていると、「あっ」と立ち止まる。お米だ。いろいろ買って一週間の予算をほぼ使ってしまった。お米を買うお金は、ない。
来週の予算を使うか。そこまでか。ベタに右往左往する。うーん、帰ろう。食パン屋さんで食パンを買って。おい。もはや、お米の国の人の発想ではない。小麦の国の人の発想だ。お米のかわりに冷麦でも食べるか。ほら、やっぱり。
焼きそばを作る。バラ肉が肉屋さんと変わらない柔らかさ。でもよく見ると、薄切りバラ肉と書いてある。肉屋さんだって薄切りかもしれない。とりあえず、今度はノーマルのバラ肉を食べるか。味はやはり肉屋さんか。なんで違うのか分からん。エサ?脂肪?鮮度?そもそも、なんで比べるか分からんが。
めんが3袋入りだから、明日も明後日も焼きそば。楽ではある。こういう食べ方だから、しばらく顔も見たくなくなるが。
MEMO
「たくあん」を買う予算もない。お米といい、たくあんといい、エッセンシャルフードの予算がないというのは、放漫財政のそしりは免れないと思います。
PS
けっきょく、来週の予算を使ってお米を買う。無洗米が100円ぐらい高い。同じ値段だったら、買ったかも。お米の直売店で精米(7分つき)して買ってた男はどこにいった?
18日「室温33℃の昼寝」
命がけの昼寝をしてみる。全然スッキリしないが、人生意気に感じた。

昨日と同じように焼きそばを食べて「さて、寝るか」と思ったら、気温がうなぎ上りで、そういえば焼きそばを汗だくで作っていたし、食べていた。
それでも寝たい。汗で布団のシーツが気持ち悪いけど、寝たい。ホンキで寝て、もう少し温度が高かったら、そのまま帰らぬ人となっていただろう。幸い、姿勢もよく、胸の前で指を組んでいた。準備が万端すぎて、思い残すことはありません。
扇風機もほぼ、温風だし、風はないし、汗はとめどなく出る。でも不思議とエアコンの誘惑は聞こえない。なるようになるだろう。寝がえりを打つのもめんどうになる。
ほんの少し、優しいそよ風が吹く。たいへん、気持ちがいい。どこからこんな風が発生して、ここまで来るのか不思議だが、エアコンの風は生命力を干からびさせるが、この風はまさに、命を吹き込む。大の字になって気持ちよく汗をかく。
なんとなく元気になる。少し寝たのも、ある。それより、「生命危機」というスイッチが入ってテンションが高くなったみたいだ。「生きる力」というやつが湧いてきた。「生きがい」を感じちゃった。
せっかくテンションも上がって、寝ているのはもったいない。ウロウロ楽しく、家の中を歩き回る。ふと、1メートルも離れてない隣の老夫婦のエアコン音が聞こえないことに気づく。
いつもカタカタゴトゴト聞こえるのに。いないのかな。2時ぐらいにいつもの音が聞こえてくる。留守だったかもしれないけど、電気代を気にしてホントに暑くなるまで耐える老夫婦の姿が浮かんでくる。「エアコン手当」を出すと公約したら、区議会議員ぐらいにはなれるかもしれない。
「背に腹は代えられない」は、どっちが背で、腹なんだろう。命か、お金か。命が大事だという言葉だと思うけど、逆転しているのかもしれない。なんたって目先の「損得」が行動原理になっている昨今だから。
命の実感がないと、こうなるのか。それがかえって命を危機に陥れてしまう。そこで人生意気に感ず。このパラドックス。コロナ渦でおにぎりのクーポンを取り換えにきた青年を思い出す。
電気代のためのエアコン自粛が生きがいを生む。でも、そのあとは?また目の前の損得を追いかけるだろう。ホントにお亡くなりなったらそれこそ、大損だと思うが。損だと思う自分がいないから、気づくことはないか。
MEMO
田舎の賃貸を探す。「敷金礼金ゼロ」でありがたい。でもよく見ると、「退去時クリーニング費用」が一か月半ぐらい掛かる。これって敷金では?礼金も含まれていそうだ。
PS
夜の都会はエアコン弱者がうろついている。あるいは防犯をあきらめて玄関のドアを開けているアパート。閉館が近づいた図書館から追い立てられる。都会の熱帯夜は出口のないトンネルみたいだ。
19日「マクラをカバーしてるカバーをカバーする」
マクラカバーじゃなくて、マクラの地肌を覆っているカバーを縫った。

なにかがポロリと落ちた。マクラの地肌カバーの裂け目から、マカロニのみじん切りのようなプラスチック。昔は小豆だろう。今は、とことんくたびれたプラの切れ端。もう20年は使っているからね。二十歳ごろからボクの頭を乗せていたのか。軽かったかでしょ。
しばらく前から、破れていたけど、「なんとかなる」とほったからしたら、このありさま。いずれ傾けたら、小豆の量り売りみたいに、勢いよく飛び出してくるかもしれない。しょうがないから、縫うか。
外は梅雨が明けて、暑い。でもエアコンをつけるほどじゃ。やるか。これもいつ買ったか分からない100均の裁縫セット。いろんな色の糸がその日の気分で使って使いっぱなしだから、混然と絡まって使いづらいっす。
玉結びが分からないでも、生きていけます。が、それなりに時間が掛かります。どうやるんだ、実際。針に糸をぐるぐる巻いて、スッと針を通すと出来上がりって、出来ません。出来るときもありますが、「ここぞ」というときは出来ません。
そもそも、玉を作るタイミングが分からない。糸通しで針に糸を通して、縫いは始める。やればやるほど、縫えば縫うほど、雑に、縫い目が「あみだくじ」みたいにテキトーな間隔になる。
それはいい。で、縫い終わりました。そこでぐるぐる見よう見まねで、出来たり出来なかったり、糸が抜けたり、また抜けたりして、なんとか玉ができる。で、これは出口でしょ。入り口は?まだ糸が自由に伸びきっている。これはどうしたらいいの?
また糸を通して、玉結び?そうすると、かなり、糸があまって、あみだくじの隙間から地肌が見えちゃう。仕方ないから、指でくるくる巻いて結ぶ。糸が短くて、結べません。気がついたたら汗がダラダラ。あとちょっと。
なんとか終わらせる。それなりに、悪くない。誰も見てないが、悪くない。達成感がある。マクラカバーをする。ボクも見えなくなる。でも、いい。ホントに、悪くない。
MEMO
帰省したときに、母親がボロボロのズボンのすそを縫ってくれた。丁寧な仕事。ありがたいことです。家庭科の授業、大事ね。
PS
引っ越しをするときに、どうするか。マクラ専門店のマクラとかで安眠したい。これで充分の気もする。破れた箇所が一か所だけじゃなくて、生地が寿命だと感じた。どうするかな。
20日「扇風機のスイッチ」
をよく押し間違える。消すつもりが、風力アップして、軽いパニックだ。

リモコンだと間違えない。実家に帰ったときはリモコンを見つけるまで、だいたい間違えていた。「間違えて覚える」というのは間違いだと分かる。
リモコンで間違えないのは、なぜだろう。ボタンの位置が分からないから、手に取ってマジマジと見るからだろう。エアコンも同じ。
「おやすみリズム」というボタンは、間違っても押さない。なんだ、おやすみリズムって?リズムより、扇風機の音を消して欲しい。首振りの音はなかなかの騒音だ。古いから?
そうなると使うボタンが限られる。「入り」と「消す」。あとタイマーか。ちなみに実家の扇風機は「入り」と「消す」が一緒だった。消すためには一度マックスまで風力を上げないとイケない。なかなか緊張感のある連打するのは楽しい。やっぱり、分けるべきか。
このボタンが少ない。というのが原因か。「分かってるよ」と、油断するからだろう。アパートの扇風機はボタンが多いけど、使うボタンは実家と同じ。しかも幸い、「入り」と「消す」が分かれている。なぞの「イオン」というボタンがあるが。
「分かってるよ」の油断が「間違いない」と傲慢につながって間違える。メガネをかけて確かめれば済む話なのに、プライドが許さない。タイマーをつけようと「えい」と押して、「イオン」のなぞの青い照明が灯る。あるいは消そうと思って「風力」が上がる。
間違えたときの姿勢がホントの間違いだろう。考えて考えて、迷いながら間違えたときはあきらめがつく、覚えようとする。あるいは、まったく素で間違えると間違えたことを忘れる。どちらも罪はない。
問題はそこそこ考えて、「これだ」と確信して間違えたとき。「なんで?」と一瞬、途方に暮れる。「昨日とボタンの位置が違うか」と、あろうことか扇風機のせいにしようとする。完全に自分が悪い。
「思い込み」という病いか。「間違いない」という思い上がりか。扇風機のボタン一つで自分が見える。人生は油断ならない。
PS
そして、また間違える。ボタンの上の「タイマー」とかの文字がなれば一生懸命、覚えるか。あるいは、途方に暮れるか。
21日「もやし51円もするのか」
みたいです。

しぶしぶお金を入れる老人男性。生々しい老人。エネルギーの変な使い方。この人はもやししか買わないが、もう何十回も買っているはず。値段は、このご時世ありがたい「据え置き価格」。ずっと51円。
なにを驚いているのか?なにを怒っているのか?それを店員に振り上げて、どうしたいのか?もやしの売り場には、うしろどりされて売れ残ったもやしが同じように首を傾げている。
まったく分からない。文句があるなら、隣のスーパーで買えばいい。もやし51円で怒れるのが逆にスゴい。怒られた方はたまったもんじゃないが、内容が内容だから、ま、いいか。
認知症という感じではないし、なにを今更言ってるのか。そうか、隣のスーパーで買うようになって、ひさしぶりにコンビニで買ってみたら、高いじゃないかということか。スーパーでもやしが売り切れることなんてあるのか。スゴいぞ、スーパーのもやしの山。
自動レジにお金を入れるときもプリプリしている。「そうですね、もやしが51円なんてありえないですよね」と答えてもいいけど、バカにしてるのかと叱られそうだ。
もやしではないだろう。もやしでそんなに怒れない。もやしで怒るような生活が問題だろう。そこまでは立ち入って考える気にならないが、「もやし、もやし、野菜で51円、あんだけ入って51円。しかも、おいしい。栄養がある。なんて、ありがたいんだ」と思えば少し優しくなるのでは?
もやしは敵ではありません。めちゃ味方です。
22日「傘を持っていたのは、変なオジさん一人だけ」
もう一人、いた。誰でしょう。

朝の天気予報は午後から急な雷や大雨でしたよ。それが全然、降らない。道行く人は誰一人、傘を持っていない。あれ?
そういえば前の日、「今日は降ったり止んだりで、午後3時ぐらいからドバっと降るよ」と具体的に教えてくれた初老のパートさんがいた。え? 今日は予報で降らないって、窓全開にしてきたんすけど。どっちなんだ。
けっきょく、その日は一滴も雨が降らなかった。そんな具体的に間違えるものなのか。ホラ吹きじいさんだったのか。
バイト先でも、もちろん誰も傘を持っておらず、奇異な目で見られる。ココで下手に言い訳したら、ホラ吹きじいさんの仲間入りになる。でも、確かに予報は……。
午後になっても雨が降る気配がない。履いてきた雨靴が、涙で濡れている。もっと具体的に雨雲レーダーで確認したほうがよかったか。あ、パソコンのバッテリーが切れていた。
充電して予報を見てもよかった。でもここ最近、微妙に予報がズレて濡れる経験をしてばっかり。予報を見て傘なしでイケそうでも、慎重になって同じ結果だったかもしれない。
そこに、救世主が現れる。他でもない、傘を持った人だ。ヨレヨレのシャツを着て、シワシワの買い物袋を持ったオジさん。変なオジさんに見えた。傘を持っていたからそう見えたのか。そういえばこの人、前にも晴れの日に傘を持っていたような。
けっきょく、雨は一滴も降らないで帰る。ま、傘の出番がなくてよかったと考えよう。あくまで予報ですからね。汗をかいたシャツを洗濯して外に干す。
なんとなく、空が怪しくなってくる。今日は降りませんから。でも、ここで雨が降って洗濯物が濡れちゃったら、踏んだり蹴ったりだね。いいえ、今日は降りません。
意地になって窓を閉める。「もしかして」。意を決して窓を開ける。ポタポタと雨が振り出している。慌てて洗濯物をしまう。難を逃れてホッとする。失敗しても、そのとき出来ることをする。いいね。
それから雷が鳴って、そこそこ雨が降る。汚名挽回か。「間違った」という記憶はしつこい。
PS
中途半端な雨で、蒸す。しんどい夏の夜が続く。
23日「今、バイトが面白い」
人がいない。雑務が増えた。陳情がまったく届かない。オーナー代理のしおれた対応。

糠に釘とはこういうことか。オーナー代理は、若店長が辞めて店長になった。そして、雇われ店長そのものになった。余計な事は、しない。出来るだけ、働かない。全然、いい。
休みの日につなぎを着て、電気ドリルで壁に穴を空けて、溶接用のマスクをしないで火花を散らしながら素手で溶接をするようなパワフルな人だった。なんだ、この急変は?
頑張りすぎたんだと思う。燃え尽き症候群というか。「テキトーでいいよ」という店長の答えはその現れだろう。これが、普通なんだよね。コッチの認識を変えないと。
忙しいは忙しいわけで、その感情と理性のバランスをどうするか。「なんとかして」と甘えるのも、「やーめた」といって見限ることもできる。
でも、つまらない。もやもやしながらも働きたくない。一瞬一瞬の心の持ちようが大事になる。まさに、修行。出来ることと出来ないこと、その折り合いの連続が仕事、いやその日を生きることだと実感する。
工夫と折り合いと反省。ああでもない、こうでもない、そうでもない。「これでいい、は、ないな」と知ったときの面白さ。
MEMO
6時前の人たち。お金持ち風の人たちがペットの散歩をしている。眠そうだけどくつろいでいる。この差かな。
PS
翌朝5時に起きてバイトのやり残しをしに行く。7時じゃ暑いからね。誰にも頼まれてない雑務。わりと楽しい。この自由さを与えてくれた店長に感謝している。20年ぐらいの付き合いか。さ、家に買っておやつを食べよう。
24日「三たびの破れたシャツ」
めぐり合わせで仕方ないが、今回はあるいは死に装束になるか。

たくあんを買いに行こう。外は容赦ない猛暑。まだ10時前でこの暑さ。真っ昼間はどうなっちゃうの。たくあんをあきらめて、たくあんもどきにするか。ごはんのテンションが違う。ああ、先週行っときゃよかった。
東西にまっすぐに伸びた商店街の道。日陰の逃げ場がない。国道を二本越えて、線路をまたいで、たどり着く、かつて「東洋一」と言われた商店街に、それはある。生きて帰れるか。
背中のシャツの穴なんてかまってられない。一歩一歩、前に進むことだけ考えよう。と言いつつ、背後に立たれないように、信号待ちも電車待ちも体を傾けて、穴が左側にあるから、出来るだけ左端に立とう。
日記のおかげで客観視が多少できるようになったから、想像してみる。出発した瞬間に、背後に女子大生が立って、目的地が同じでずっと背後から付いてくると想像してみる。
最初は「あ?」と思うかもしれない。でも、目の前のオッサンのシャツが破れてたからといって、警察に通報することはないし、どうでもいい。すぐスマホに目を落とすだろう。
あるいは少し俯瞰して自分目線で、シャツの穴が開いた男が立っている姿を想像してみる。「で?」と思った。こういう想像を忙しくしてることが達観できてないなによりの証拠だが、ま、確かにどうってことない。
そう思わないとこれからの道のりは、しのげない。ホントに、太陽は半端ない熱と光を発している。行って帰ってくるだけで、余裕で日焼けはするだろう。シャツの穴が開いた部分だけ日焼けするだろう。それが背中にポツンとできて、太陽のように見えるだろう。どうせだったら、富士山も作るか。
それでも軒先、電信柱、信号待ちの車、目の前のわずかな日陰を探して縫うように歩く。みんなちゃんと日陰を歩いている。スペースが人ひとりもないから、どちらかが、道を譲るか、立ち止まって、横道にそれる。どうでもよくなって、ひたすら歩く。帰りは太陽に向かって歩くのか。とにかく、たくあんたくあん。
いつものたくあんがある店にたどり着く。ここまでいいことはなに一つなかった。たくあんがあれば、それでいい。たくあんがあれば……、あった、けど、いつもと違う。一本売りが、持ち運びやすいように二つに切ってある。10年目の奇跡か。工夫と心遣いが身に染みる。
汗だくのオッサン、帰路につく。みんなうんざりしたように歩く。あとちょっと。最後の最後で立ち寄ったスーパーで謎に待たされる。いいんですけど、ここまで来て、背後に立たれたくない。やはり、気になるか。バナナを持った店員さんがレジに走って来る。解決したようだ。
ようやく、家に着く。汗だくのシャツを脱いで洗う。さっそく、たくあんを切って食べた。うまい、ありがたい。でも、こりごり。
MEMO
銭湯の湯舟。謎の物体が網袋に入って沈んでいる。こどもの日は「しょうぶ」という植物、冬至は「ゆず」。あ、今日は土用の丑の日か。てことは「うなぎの皮」か。それはない?
PS
洗ったシャツを乾かす。真っ昼間の太陽と熱風で30分もしないで乾く。「乾く」というより「日干し」に近いか。すまん、シャツ君。
25日「スーパーで手に取った商品が、だいたい値引き」
定価はピーマンぐらいか。それでも5つ入って130円なり。

いったい「定価とはなにか」と思ってしまう。賞味期限の問題で安くなっていたのは、塩焼きそばぐらい。30パーセントOFF。それでも期限まで3日ある。生鮮食品でもあるまいし、かなり売れ残ったんだろうな。
30パーセントOFFのお得感が一瞬で薄らいでしまうのも怖い。かなり売る側はダメージがあるはずだ。でも買う人は「あっ! ラッキー。はい、つぎ」でおわり。あたりまえじゃない。これが基準になると、定価で買えなくなる。あくまで、たまたまね、たまたま。
バラ肉にいたっては、すでに販売当日で40パーセントOFF。「こだわりの肉」と生産者の笑顔の写真が貼ってある。大丈夫か、生産者。いきなり40パーセントOFFで売られて、憤懣やるかたないのでは。思わず目を逸らしてしまう。
出血大サービスのでしょ、40パーセントOFF。それが肉売り場の、目立たない一番上の棚の、さらに隅っこで、ちょこっと展開されている。40パーセントOFFなんて、つまりスーパーの定価ってこと?
この「定価」も、値引き感を出すために高くなっているときがある。特売の日。なぜか、定価が高い。そこから値引きした値段が特売の値段。普段の定価から値引きしたら半端なく安くなるからだろう。そこまでは安くできないらしい。充分安いですけど、ややせこい気もする。
物の値段というのはどう付けたらいいのか。安いのはありがたいけど、「これだけ手間がかかってるから高いのはあたりまえ」と言われると、「そうですか」と納得はする。でも、「買いませんけどね」となる。
野菜炒め用の野菜詰め合わせ「98円」。倍の値段はすると思っていたから目を疑った。なんの愛想もない業務用の袋に、脱色した弱々しいキャベツやニンジンが入っている。そして、ボリューム感を出すために、もやし。ほぼ、もやし。もやしにキャベツとニンジンのフリカケがかかっていると言っていい。でも、安い。安すぎるぞ。
さっそく、買った肉と野菜を塩焼きそばに使う。値引きで買った商品より、野菜炒めの野菜の安さが引っかかっている。やはり、適正価格というのはあるな。安けりゃいいってもんじゃない。といって、目の前の「98円」は、浮き足立ってしまう。出来心を誘われる。
自分で野菜を切らずに、こういう商品を買うことも、少しさびしい。野菜を切って作る焼きそばと、切らない焼きそばでこうも作り甲斐、食べ甲斐が違うのか。ピーマンを買ってよかったね。大きさといい、色といい、皿の中で浮いてたけど。
安い買い物、安い作り方、安い食べ方。いったい、これって、ホントにお得?
MEMO
図書館で携帯のバイブの音。ブーブーブー。出ない。「もしもし」はありえんけど、放置も分からん。ややあって、初老のおじいさんが隅っこに来て話し始める。ま、あるあるだけど、それより図書館の人がぴったりマークして、やや食い気味で、おじいさんが電話を切るか切らないのタイミングで「お電話はご遠慮下さい」と声をかけていた。納税者のプレッシャーか。ボクもその一人になっていないか。
PS
塩焼きそば。同じメーカーで塩ラーメンがある。に、似ている。しおーがないか。
26日「避暑地からこんにちは」
避暑地というより、避難所か。その名は喫茶店。

あまり行きたくないが、エアコン代の節約のために行くとしよう。その前に昼ごはん。焼きそばを食べて寝転がったら、行く気が失せた。昼寝してから行こう。
日記の挿し絵が半端なく滞っている。なんとなく喫茶店なら書けそうな気がする。よし、大義名分もできた。うーん、どうもあのサロンのような雰囲気が苦手なんだよな。
コーヒーもそこまでおいしいわけじゃないし。別に行かなくていいか。あきらめかけたとき、おやつがあることに気づいた。行くか。ベッドから跳ね起きる。
昼間の一番暑い時間。100メートル先の喫茶店が遠く感じる。「こりゃ、外に出ちゃダメだ」が正解。引き返そうか。日記の挿し絵のため……おやつは何があるだろう?
喫茶店にたどり着く。そこそこ混んでいる。店の入り口わきの席には誰もいない。ここだけサロンというより、ファーストフード店という感じ。見事にだれも目をくれない。みんな、サロンの雰囲気に浸りたいんだな。
カフェラテとチョコワッフルを買って、パソコンを向かいの席に置いて座る。あそこに座るのか? なんとなくざわついたような気がしたのは気のせいか。イスが高いから余計、目立つ。しばらく借りてきた猫のように動けない。
とりあえず、おやつ。アイスが乗ったワッフルをナイフとフォークで食べる。おいしいな。挿し絵はどうする。あ、テーブルが狭い。どう見てもワッフルの皿と共存できない。
アイスカフェラテだと氷で解けてマズくなるから、ホットラテにした。チビチビ飲んでると、眠くなってきた。なにしに来たんだっけ。
店のすぐ出たところにエレベーターがある。2階はファミレス、3階はカラオケ。まねき猫の絵が描かれている。面白いようにエレベーターにお客が詰めかける。まねき猫のご利益か。たぶん、みんなファミレスだろう。まねき猫のまねき損か。コッチは相変わらず、借りてきた猫。
それにしても、暑いからか、喫茶店にもファミレスにもひっきりなしにお客が出入りしていく。滞在時間が長い組とせわしない組がいることに気づく。喫茶店なら分かるか、ファミレスに入った親子なんて、15分もいたか? 暑さなんて関係なく、毎日こうなのか。みんなどこから来て、どこへ行くのか。
2時間はいただろう。気がついたら、ほぼ満席。お姉ちゃんが仕方なく、隣の隣の隣の席に座る。よし、帰るか。パソコンは向かいの席で微動だにしていない。こういうところで書ける人と書けない人がいる。ボクは後者だろう。もっとヒマな店ならあるいは。だからタイトルはアパートで書きました。
暑いアパートに帰る。1時間ちょっとしか時計が進んでいない。そんなもんだろうな。挿し絵、どうすっかな。
PS
カレー屋さんがランチとディナーのあいだ、カフェをやっていたな。コーヒーがおいしい確率は、ほぼゼロだろう。でも、行ってみるか。
27日「リゾートしたいオジサンたち」
バイトまでの道のりで、三人ほど見かけた。

一人目。アパートの前の坂道にて。
坂道の途中の一軒家。そこの一階の駐車場。この家は昔、ベンツを持っていた。いまは、ない。空いた駐車場でなにやら商売を始めた。某メーカーのスポンジの無人販売から始まって、駐車場の奥になぞの彫刻、小物を並べていた。気がついたら「がらくや屋」とのぼりが出ていた。
それが数日前から駐車場の奥のがらくたにシャッターが下ろされて、その出入り口に簀の子、木の床のようなものを作り始めた。1日あればできる1㎡の床を、4、5日かけてマイペースで作っておられる。
ある日、そこにピーチパラソルとテーブル、長椅子が向かい合って置いてあった。南国の植木もあるぞ。なにをする気だ。カフェか。ココで?
バイトの行きと帰り、朝と夕方に通り過ぎるから、まだココのオヤジがくつろいでいるのを見たことない。スポンジ、がらくた、の流れでみたら、やっぱりカフェかな。
今日、通り過ぎる。お客を呼ぶためになにかしてる気配はない。ただ、オヤジが飲んだらしい缶ビールが、テーブルの上にポツンと置いてあった。夜、リゾート気分で飲んだのだろう。
二人目はいつもの公園にて。
この公園は立派な庭園がある。だけじゃなくて、森のように木が乱立している。さらに小さな滝まである。そこから小川が流れて、水が庭園の池に伸びている。
子供が小川で水遊びをしていた。夏休みだね、と思ったらそのオヤジが、ビーチ用の折りたたみイスに座ってくつろいでいた。あるいはミニのビーチテーブルもあったか。ビールも飲んでいたかもしれない。
とにかく、プライベートビーチでくつろぐセレブがそこにいた。子供にまったくかまわないのもスゴいが、公園の一角を自分の庭のように過ごせるのもスゴい。朝の7時30分。「だれも来やしないだろう」。いい見世物になってます。
三人目はバイト先にて。
バイトの店長。「軽井沢に行ってきたよ」と楽しそうに話している。二泊三日。リゾート地が楽しいという発想がないから聞き流す。でも、こうして三人そろったからネタになりました。
みんな50は過ぎている。「リゾート」という非日常を求めているオジさんたちは、中年の危機なのか。
MEMO
バイトにて。見た目も名前も外国の人の公共料金を受け付ける。日本語は通じそうだ。「確認の『OK』ボタンを押してください」と言ったら「ボクに英語を使わないでください」とたしなめられた。他に言いようがないけど、なんとなく察した。「日本語を猛勉強中してるから」ではないだろう。気にしないでいいのに。
PS
店長が軽井沢ということは、若い社員が代わりに出ていたということ。どんなようすか気になったが、今日は会わないと思って忘れていた。それが、現れた。古い社員が来れなくなったようだ。声を掛けるのが憚られるぐらい、暗い。
「マジ、ダルい」。〇〇ではなかった。○○は外に対してか。20年目のバイトのボクと、30年目のパートさんが「休んでていいよ」と気をつかって残業する謎の展開。そんなにイヤなら、ま、いいか。
一人目のオジサン。フラミンゴの置き物が追加されていた。ちょっと面白そうだけど、経緯を知らない人は怖いかな。
28日「お祭り中止します」
という案内もなく、なかったことのように中止になった祭りは、なにを祭っていたのか。

つまり、ただのイベントだろう。神社が絡んだお祭りは、コロナの真っ最中でもやっていた。神様に怒られては困る。中止したお祭りは、地域のみなさんの交流会ということね。
バイトの近くで毎年行われていたお祭り。20年近くいて、中止なんて聞いたことない。広い公園に盆踊りのやぐらを組んでみんなで踊る、わけでもなく、座って同好会の盆踊りや出し物を見ているだけ。
それより、出店が楽しい。一年で一回、バイト先に的屋の人たちが買い物に来る。小さかった子が、一年後には大きくなる。親戚のおじさんになった気分だ。
お祭りに来た人たちも、的屋の巨大なじゃがバターとかミニかすてらとか、およそスーパーとかコンビニで見かけない食べ物に列をなしている。
その的屋の人たちも少なくなった。代わって町内会の人たちが焼きそばとか、地方のビールを売っている。ただの文化祭になってしまった。もちろん、ボクは行かない。どれだけつまらくなったか去年見に行ったか。結果は察してください。砂埃がスゴかったな。
それでも人が集まる。非日常というのは必要だろう。特に、学校に行かされている子供たちは日常を選んでいるわけではないから、こういう非日常はかなり楽しいだろう。
「この暑さだから仕方ない」と思っていたらアパートの近くの商店街は普通に、盆踊り祭りを開催していた。神社とか関係なく、学校の運動場で。
なぜだろう。バイトの近くの祭りは、主催が行政だからだろう。なにかあっては困る。アパート近くの祭りは、町内会の人たちが主催している。前日も青年でもない青年団が汗を流しながら準備をしていた。
おかげで学校の前を通る帰り道がふさがって回り道をするハメになったけど、盛り上がってよかったと思った。みんなお祭りが好きだな
回り道をするときに、盆踊り会場に子供をせかすお母さんとすれ違う。浴衣を着た子供が思いっきり転ぶ。この親子を急がせているものはなんだろう。
世間体だろう。「あの親子、また遅刻してきた」。地域のお祭りの裏側を見た気がしたな。
MEMO
昨日のことのように、昨日を思い出してみた。雑音が多いな。時間が経った遠い思い出は、イイとこどりらしい。
PS
そういえば、スポーツのお祭りが始まった。このお祭り、みんな飽きてきたかな。
29日「日記のネタを寝転がって考えた」
ちゃんとネタを決めて寝た。それなのに「考えてないだろ」と責められる夢を見た。

夢というより、夜8時に寝転がって2時間後の10時に起きたからうたた寝だろう。ネタの内容が覚えていない。ちゃんと決めて、決めたから寝入ったはず。
夢なのは分かったが、なぜバイトの人たちに詰問されるか分からない。バイトの人たちに罪はない。ボクが忘れちまうようなネタを考えたのがイケなかった。
日記はこんな感じで夜、寝る前に30分ぐらい「ネタ」と「タイトル」を決めてニヤニヤできる内容だったら寝る。朝にそれを味わいながら書く。夜書くとしんどいし、夜更かしはしたくない。なにより、考えたときと書くときと二度おいしい。最近、分かってきた。
今日は夢の話がネタなのか、ネタを忘れたことが夢に出てきたことがネタなのか、夢に出てきたことをネタにしたことがネタなのか。
やはりちゃんとしたネタを考えないとダメだろう。夜通し変な夢を見続けた。夢はだいたい、寝はじめと起きる前に見る。熱帯夜でそれが何回もあって、バカバカしい内容過ぎて書けないが、書こう。
夢の話
いろんな所で迷子になっていた。始めは、田んぼと沼地。あてもなく歩いていると、野球少年がいる。昔のボクシングの兄弟のように兄弟3人で、廃墟の工場みたいなところで練習をしている。
テニスラケットでバスケットボールを打つという謎の練習をひたすらストイックに繰り返している。秘密の練習らしく、ボクを見つけて、絡んでくる。「なんだオッサン?」。小学生ぐらいだが、鍛えているから迫力がある。
逃げようとすると、なぜか長男とボクが知り合いという設定で「おお」と長男が助け舟を出してくれる。急に仲良くなって練習を見守る。「頑張って」と言って別れる。
「お菓子でも差し入れするか」と兄弟のために駄菓子屋に行く。その駄菓子屋が異様に広くて迷う。知らない小学生に背負っているリュックのチャックをしつこく引っ張られる。立て続けに小学生に絡まれて激怒するボク。
冷静になって小学生に謝る。なかなか許してもらえないが、いろいろ駆け引きして、お菓子を渡して和解する。兄弟のためにバットの形をしたお菓子を買う。
目の前に兄弟がいて、バットのお菓子と、お酒のワンカップを持っていこうとする。「それはダメだろ」とツッコむ。ぶつぶつ文句を言って帰って行く兄弟を見送って、おわり。
MEMO
37℃と暑い。それでも、5時をすぎると風が吹いてくる。日陰でその風を浴びると、少しだけ涼しい。季節の歩みを感じた。
PS
「変な夢を見るとき」は、精神のバランスが悪い。面白いが、生活を見直すサイン。
30日「お時給を見た」
すえ置きでホッとしたが、日本語がようやく話せる外国の子と同じで、一瞬もやっとした。

電子化してめんどうだから、給与明細を見たのは半年ぶり。昨日、外国の人の面接があって時給の説明が聞こえてきた。「あれ、同じじゃん」。
ってことは、もしかして、上がってる? この人を基準に考えたら上がってるわな。上がってたらもっと頑張らないととか、「ありがとうございます」とか言わなきゃダメなのとか、「いやいや半年前に上がってるよ」ってツッコまれるかもしれないとか、めんどうくさい。
それが、同じだった。人手不足だし、雑務も増えたしとか考えて「あれ?」と思ったけど、基本、やってることが同じだから、評価も同じか。
昨日のことがなかったら、そもそも明細を見ないし、たまたま見ても、「あ、はい」で終わるけど、なんだろ、このもやもや。
もともと、時給が高い。コンビニの日勤で1350円は高いでしょ。高いから上げようがない。といって、新人の時給が低くかったら人が集まらない。新人を基準にしてベテランを上げたら、人件費がエライことになる。ジレンマだと思う。
もやもやの正体は、甘えだろう。シンプルに「大差ない」。バイトに年功序列はないということ。それでいい。「イヤなら辞めればいい」ぐらい考えないと、お互いシンドイだろう。
その子が来なかった。そういう信用はお金にならないの?という気もする。プロスポーツじゃないけど、ケガが少ないとか、出場時間が長いとか、細かい査定基準があってもいい。固定シフトで休まない、遅刻しない人がここ3ヶ月で何人いたのって話。あたりまえじゃないっすよ。
気ままにその日だけバイトをする人と、固定シフトを守る人。人出不足の世の中で、その評価をしてくれる店が現れたら、うれしい。これは別問題のもやもや。甘えといえば甘えか。
辞めるハードルがまた一つ低くなった。ありがたいが、それでも、「5円でいいから上げて」が人情です。
MEMO
季節の歩み。37℃に雨が降って、おそろしく蒸す。まだ、季節の歩みはヨチヨチ歩きか。
PS
気ままにその日だけバイトする人。若い人が多いな。ボクも若かったらそうするだろう。年齢は関係ないか。やはり、相手になにか期待すのは辞めよう。はい、勉強になりました。
31日「おまけをするおばちゃん、しないお姉ちゃん」
銭湯で知らずに期限切れの回数券を使ったときの反応。昨日はカレー屋さんでラッシーを。

カレー屋さんのおまけは、「また来てね」、あるいは「常連だから」という、ただのサービスだろう。変な話、心の準備は出来ている。
問題は銭湯のおばちゃん。期限切れの回数券を使うときは「30円」の追加料金がかかる。回数券のお得な30円分を払うというワケ。
それが「いらない」という。不意打ちのおまけに一瞬、固まる。これって「おまけ」というやつか。「おまけ」なんてしてもらった記憶がない。
昔、総菜屋さんで総菜をおまけしてもらったことがある。あれは「おまけ」でなくて、計り直すのがめんどうという「テキトー」さだろう。
物心がついたときから「ニコニコ現金、定価払い」で育ってきた。電子マネーなら尚更だろう。「最後だから」という、おばちゃんのなぞの添え言葉で、ますますこんがらがる。
初めて期限切れの回数券をつかったときはお姉ちゃんの番台だった。期限切れなんて知らないから「ポン」と番台に回数券を置く。「ちょっとお客さん」と呼び止められて、初めて気づいた。暑いから家でシャワーの日が多くなったからだろう。
「え?」と回数券はまだ3枚ある。「もったいない」と思ったら「30円で入れます」と救いの言葉。いつも回数券しかポケットに入っていない。35℃の中、30円を取りに帰った。
2回目は「30円」を握りしめて行った。それが「いらない」という。払う気満々だから聞いていない。おばちゃん、30円を手に取って返してくれる。「最後だから」。なにがでしょ?
店じまいだから?今日は早く店が終わる、ラストオーダーみたいなことか。だとしたら早く風呂に入らないと。誰も急いでいない。お客もつぎつぎ入ってくる。どういうこと?湯舟には、例のなぞの物体。
期限が切れて1か月近く経っている。たぶん、「かわいそうに、そんなにお風呂に入れないから回数券が余ったのね。さすがに期限が切れて1か月。きっと最後の一枚よね。30円はいらないわ」という意味で「最後だから」かな。
3回目はまたお姉ちゃん。前回のことを覚えていて恐縮している。猛暑の中、30円を取りに帰らせたからだろう。30円、ちゃんと受け取る。
お姉ちゃんの対応が普通だろう。払う方だって、なにも気にならない。「おまけ」してくるのは嬉しい。でも、もやもやが残る。おまけ慣れしてないから?いやいや、値引きクーポンはおまけそのものか。スーパーの30パーセント引きなんて、どエライおまけじゃん。タダになるクーポンは、おまけ?
うーん、何だろう。「相手のことを思って自分の取り分を減らす」という気持ちに慣れていないからか。そんな人間いるの?お姉ちゃんにこの話をしたら言うな。ボクだって、そう。
でも、違うな。たぶん、おまけより、「借りを作っちまった」と思ったからだろう。情けないけど、これがお金社会で育った人間の思考回路だろう。良くも悪くも、金の切れ目が縁の切れ目というね。
おまけは、人の温かさと、お金の限界を教えてくれる。
MEMO
首を寝違える。その前は手首を寝違える。熱帯夜は寝苦しいから寝違えるのか。
PS
カレー屋さんのカフェタイム。メニューにお菓子はない。焼きそばを食べたばかりだけど、チーズケバブを頼む。そのとき、ラッシーをおまけしてくれる。申し訳ないから、コーヒーを頼むか。
隣の隣のお客に、注文を間違えてアイスチャイを渡そうとする。アイスコーヒーが正解。チャイをさげてコーヒーをお客に渡す。ペットボトルに入ったコーヒー。さすがにコーヒーを頼む気になれない。
あ、チャイでいいか。「チャイください」。間違えたチャイでいいよ、と厨房の前に置いたチャイを指さす。おまけの借りを返して、チャイも飲める。一石二鳥か。やっぱり、おまけは「借り」か。そんなに気にならない。ビジネスだからね。
店員さんは「それはできません」と笑顔で新しいチャイを作ってくれる。ま、そんなにうまくいかないか。
カフェで日記を書けそうだけど、隣のお客が同じようにパソコンを取り出して「休憩時間だったら帰るけど」と店員さんに声をかける。「休憩はないです」と答える店員さん。いるだけで気をつかうだろう。帰るか。