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やまま日記11月

1日「一回り上の人」

スーパーのレジで横入りされたと思ったら。

目の前のお客さんが待たずにレジに行く。ボクは待たされる。目の前のお客さんがまた、買う量が多い。なかなかレジが開かない。なんでボクはこんな待たされるんだ。

ジリジリとレジが開くのを待つ。後ろから中年の銀髪の男が横から現れる。迷いなくレジに向かう。おいおいと思いながら、あまりの確信的な動きに、もしかして、セミセルフのレジだけじゃなくて、「完全セルフなレジがあるのかも知らない」と横入り男の行動を正当化する。

「知らないやつが悪い」。

それでも、横入りは横入り、と思っていたら、一番奥のレジで袋詰めしているおじさんの隣にすっと立つ。なんだ?なんだ?

銀髪の男は、おじさんがレジ台に忘れたカードをすっと取って、おじさんにそっと渡す。そっ、そういうことか。

見えていたのか。

あんな遠くの見ず知らずの誰かのソコツさが見えていたのか。それに比べんでもいいが、こっちは我が身の不幸をなげいて、ひたすら目を皿にしてレジが開くのを待っていた。

いやいや、ボクだってお会計しようとして目の前に忘れ物があったら、会計のお姉さんにややツンデレで「はい、わすれもん」と渡しますよ。隣のレジぐらいなら気づきましたよ、計二回はそうしてますよ。

違う。銀髪の男はボクより待たされているはずだ。ボクのお会計の分、もっと待つはずだ。それなのに、目の前の困った人が見えている。自分自分じゃ、決して見えないものが見えている。こりゃ、かなわん。人間として一回りも二回りもは大きい。

目を見開いて見ていると、銀髪の男が帰ってきて、「レジが開いたよ」と手で促す。おお、レジが開いている。ボクまでお世話になってしまった。レジなんかより、この男に敬虔な態度をとらないと、もっとみすぼらしくなる。

大げさに銀髪の男に向かってうなずいて見せる。「あんた、スゴいぜ」。ま、猿芝居だが。知らないで並んでる人がいたら「早くしろ」だが。

いいもの見せてもらったぜ。

PS

隠れた好プレーとして、ボクがすかさずレジに行ったら、銀髪の男が戻ってくる前にレジに行ったら、誰かに並ばれてしまう。ボクの猿芝居が銀髪の戻る時間を稼いだ。

2日「大雨に濡れるのが慣れるまで」

17時から大雨。17時にお届けの予定があったが、ヒマだったから早めに。助かった。

と考える余裕がないほど、店を出ると、これでもかという大雨。濡れるんでしょうけど、濡れたくないな。雨靴で長傘で、備えはどんとこいなのだが。

容赦なく降る大雨。いつもの500メートルぐらいの直線距離が長い長い。前を見るな。ただ、歩け。それでも水たまりを避けたり、うらめしそうに前方を見たり。

ひっ。

雨傘から大粒の雨が背中にポトリと落ちる。早く早く。傘をさしてる方の手が濡れてくる。傘を微調整して傾けると、雨粒が大量に落ちる。少しでも濡れたくない。

向かい風がビュービュー吹いちゃう。

気がつくと傘をさしてる手の袖が濡れて張りついている。重い。傘からしたたる雨粒で背中が濡れて冷たい。ジーパンの下半分が濡れて歩きづらい。雨靴のすきまから靴下が濡れてジメジメが伝わってくる。

踏切がある。「チンチン」鳴ってくれるな。よし。無事、通り過ぎる。最後の直線に入る。早足。そうだ。両手で傘を持つと傘を持つ手が濡れないテクがあった。もう遅い。

「あっ」。大事な仕事、忘れた。

来た道を振り返る。雨で道が霞んでいる。どうする、どうする。ありがたいことに今日の夜勤はそれが出来る人。もうしわけないが、甘えよう。

「とにかく歩く人」になっている。上半身だけ濡れていない。あとはびしょ濡れ。上半身だけは守ろう、どっちでもいいじゃん。もう、そんなに早足でもない。

贅沢は言わない。ただ、帰ろう。

家につく。明日も仕事。濡れた服とズボン、一張羅だから乾くだろうか。最後は人間乾燥機に頼るかね。びしょ濡れの服を干す。お疲れ様でした。大変でしたなあ。

PS

翌朝。7分乾きといったところ。めちゃ、晴れている。なんだか、なあ。

3日「教え方」

声が小さすぎる子に、ボリュームを上げてもらうのはむずかしい。

「袋入れますか」を言えなかった子が言えるようになって一安心していたら、50センチ先のお客さんに声が小さすぎて伝わらない。

「はい?」と言って促されるとその子は顔を突き出して声を大にして言う。「お箸いしますか」。その声の音量がまったく同じ。

そもそも声を発したことにも気づかない人もいる。その時も身を乗り出して顔が赤くなるぐらい一生懸命に声を出す。お客さんは「なにごと」かと、その子を見る。

おじさんは露骨に「え?」とレジに身を乗り出して聞く。注意深く聞いてみたら「袋いりますか」。苦笑いして「持ってます」と答えていたな。

イヤホンをしてたら無理だろう。デカい声の人でも無理。はじめから店員と話す気がないのだから、イヤホンの音に負けずと声を張る人にアドバイスする。

口パクでいいんじゃない。

自分の声がどうだか分からない。ようやくボクも、早口でもぐもぐ話す人かもしれないと気づいた。早口の人ももぐもぐ話す人を見て聞きづらいなと思ってたら、自分もだった。

人の振り見て我が振り直せる人はスゴい。まず自分を知らないし、すぐに直せませんって。

さて、声の小さい子が中華まんを注文される。レジの反対側にいるボクに「〇〇お願いします」と声をかける。はい、聞こえません。反対側に行くときにお客さんの声が聞こえたから分かっていたが。

ここは知らんぷりしよう。

「〇〇まん〇〇〇〇」。「まん」しか聞こえない。「なーに?」と聞き返す。ニコニコ笑顔で頑張って言い直す。「〇〇まんお願いします」。肝心なところが聞こえないから「なーに」と言おうとしたが止めた。このままだと、

パワハラおじさんになっちまう。

デカデカと「なんだって」と聞き直すおじさん、おばさんになるのはまだ早い。それに、「恥ずかしい」という感情は大事にしよう。

4日「自動で翻訳するアプリ」

が入ったマシーンに向かって話すのはコソバユイが、それより翻訳された内容にヒヤリ。

両替をしたいアジア系の外国のお客さん。コピー機の両替は受けつけるが、それ以外は銀行のべらぼうな手数料を考えると、商売にならないのでお断りしている。

外国語が分からないのはボクも同じだが、テキトーな英語で外国の人とコミュニケーションできると評判になってしまったので、呼ばれる。通称「やままイングリッシュ」。

言ってることは分かるが、返しがすぐに思いつかない。「英単語」を言うが伝わらない。相手もアジアの人だから英語が「にわか」でイントネーションが違うとお手上げ状態だ。

アプリが入ったマシーンを差し出される。「日本語でどうぞ」ということか。マイクに向かって話すみたいで緊張する。うまく言えるかな。「両替はダメです」と照れながら言う。マシーンの画面にしゃべった日本語が表示されて、その下に英語で瞬時に翻訳される。

「お前はダメです」

と、日本語が表示されている。横目で確認して驚く。「え?違う違うっ」。外国の人が表示された画面を見ようとする。「ダメダメ」。外国の人は画面を見て首を傾げている。翻訳された英語が分からないみたいだ。

ホッとする。顔はほとんど日本人だから「お前、ダメ」ぐらい分かるかも、とドキッとしたが、日本語はまったくダメみたいだ。

ちゃんと言い直す。「お前」が「両替」に変わる。外国の人は納得して帰っていく。「exchange is no」とでも表示されたか。昨日「モソモソ話すのを改めよう」と思ったことが、まだ出来てないのか、それともマシーンの性能に難ありか。

それより気になったのが、マシーンを取り出す速さ。「相手の話を注意深く聞く」のがめんどうなようだ。マシーンに頼りっきりになっている。便利なんだろうけど、「咀嚼して、考えて、試す」が抜けている。

少し前は何回か聞いて、ダメだったらマシーンだったけど。

翻訳マシーンが出てきたときは、コミュニケーションできる楽しさがあったが、ただの便利なツールになり下がったようだ。それに、翻訳を信じ切っているのも怖いな。

だって「両替ダメ」が「お前ダメ」ですからね。〇〇〇〇・YOU!なんて翻訳されたら。

5日「休みの前の保身」

休みはのんびりしたりから、仕事のモヤモヤは持ち帰りたくない、と思うと逃げ腰になる。

そうなると、失敗しないように「事なかれ主義」になってしまう。そうなると、失敗する。正確には、いつも気にしない失敗が失敗に思えてくる。そうなると、なにもできない。

それが、一番の失敗。

と分かっていても、なにかあって休みの解放感が目減りするのはイヤだ。難しいところ。よし、逆に失敗してもいいからチャレンジしよう。と思って失敗しても、挽回したくたって、休みじゃそれもできない。なら、なにもしなくて、なにもないほうがいい。

今日も15分前から落ち着かない。できれば動きたくない。めんどうなトラブルが起きませんように。緊張して体が固くなるのが分かる。全然、楽しくない。でも、休みはくつろぎたい。

5分前。「お箸をいらない」と言ったお客さんにお箸を差し出しただけ、とんでもない間違いをした気がする。お客さんが帰っていく。お客さんこそ「私の話を聞いてない」とモヤモヤしただろうに。

時計を見て「あと1分」と気にしない人だ。気にすると長く、長~く感じる。今日もその習慣に助けられて、気がついたら終業時間になっていた。気にしてたら、それこそ手に汗握るラストになっていただろう。すべての言動が失敗に思えて、休みの1日半はつぶれただろう。

あとは帰るだけ。家路を軽い足取りで帰る。やはり、仕事はそう感じてなくてもストレスなのだろう。この解放感も仕事の醍醐味かもしれない。

あっ、「勤怠」忘れた。

一番ダメな失敗をして仕事先に向かうハメに。おわって油断しまくっていたのだな。そこから仕事先に戻って、「あっ」と気づく瞬間の場所に戻るまでのすべての言動が失敗に思えてくる。もう、考えるのはやめよう。次、気をつけよう。

過剰な期待が保身を生む。期待どおりの楽しさより、保身の楽しくなさを天秤にかけて、バランスをとるのは大事そうだ。期待と保身という鎖が、蛇のようにまとわりついて身動きがとれなくなる。どちらにしろ、

やきそばの味に大差はないだろう。

6日「休みの日、寝て、食べて、寝る」

ときどき、趣味。予定なんて、とんでもない。

元を取ろうとしているのか、何の「元」か知らないが、予定を詰め込んでいる人が大型連休にガラガラと荷物を詰め込んで右往左往している。

旅の楽しさの半分はアクシデントだし、アクシデントのない旅は「確認」しに行ってるだけ。詰め込んだ予定をこなすのは、ノルマに近い。

休みのだいご味は「自由」。

疲れて起きられないのではなくて、寝ていられる自由を味わう楽しさ。疲れて起きられないって、ちょっとした入院ではないか。青息吐息で行くスーパーは売店ね。

自由に寝ていられる自由を味わえる人はいくらもいないだろう。寝ていたら、なんとなく怒られる気がする。誰に?分からんが、夕方の自分か。うーん、なんだろ。そうか、

「休日のすごし方」がインプットされちゃっている。

「レジャー」「イベント」「ショッピング」に「ホビー」。ホントになにもしないでいいんですか?そう言われますと……。ありがたいことに、ボクは休日のプレッシャーというのはなかった。

仕事をそんなに頑張らない、手を抜くのではなくて、抜いたらつまらない、そうではなくて、生きていく分だけ仕方なく働いてるから、納得がある。でも、それ以上は働かない。「休みの日に起きられない」とは無縁だった。

なにより、土日はずっと仕事だったから、世間の、休みになにかしてる人たちと距離を置けたことがデカい。なんだろ、あの土日の解放感は。それでも、土日の空気は平和が漂っていて和む。やっぱり楽しいからね、休みは。

たまに祝日で外に出ると、近所がショッピングの観光地だから、その雰囲気に呑まれそうになる。仕方ないから、家でジッとしてやり過ごす。全然、休みじゃなーい。

自由に寝て、食べる。ホント、それだけで充分だと気づく。あとはお付き合い程度でいい。そう感じられないなら、その不自由を感じてみよう。

7日「北風が吹いてきた」

寒さは気温ではない。体感。そのほとんどが、風。

夏は湿度だろう。もちろん、気温も35℃とか5℃ぐらいだと暑いし、寒い。30℃とか10℃ぐらいだと暑いは暑いし、寒いは寒いけど、全然、耐えられる。

昨日まで薄着で歩けたのに、今日は、風が吹いて寒い。15℃ぐらいの気温のはずだ。だから、風がないと余裕で歩ける。だったら、わざわざ厚手の服を出すのは憚られる。

やや遠い、豆腐屋さんに行く。公園の脇を通り抜ける。公園の周りに建物がないから、風がよく吹き抜ける。「ひーっ」と思わず声が出ている。薄着がまるで温かくないどころか、冷えて、肌にまとわりついて、よけい寒い。

ふと見ると、保育園の子供たちがキャッキャッ遊んでいる。寒いのが面白いのか、まったく気にならないのか、無尽蔵なエネルギーがうらやましい。子供は風の子ね。

関係ないが、いつも昼間だけ遊んで帰っていくのに、もう夕方。しかもこの風。放任主義の保育園なのか、遊べる公園が近所にないから、他の保育園と交代性でこの時間になったのか。

日が暮れた公園で遊ぶ児童たちに、かすかな哀愁を感じる。やっぱり子供はお日様の下……紫外線の問題?

家に帰ると温かい。温かく感じる。やっぱり、風だよな。さすがに朝、バイトに行くときは上着がいるだろう。秋の衣類。出番の短いこと。春もしかり。出番が少なくて申し訳ない。

衣替えがせわしなくて、せつない時代になった。

8日「トースターが壊れたかもしれない」

壊れたかどうかより、壊れたら困るのに、壊れたらネタになるかもが問題。

そういうことです。たぶん、壊れてないだろう。ネタのために確認しようという根性がなかった。いただけなかった。いただきますと言えなかった。

アナログのタイマーを回して食パンを焼く。カチカチカチ。もうすぐおわる。うーん。焼きが甘い。久しぶりのトースター。勘が鈍っている。

もう少しダイヤルを回す。小気味よいカチカチという音がピタリと止まる。ダイヤルも動きが止まる。しょうがないから、ダイヤルを「0」にして強制終了。

「チーン」という音がする。「お亡くなりになりました」。

と聞こえた。久しぶりの「チーン」の音もあってか、効果が抜群だった。まんま、日記のエピソードになりそうだ。確かめてみるか。ホントに壊れてたらそれなりにショックだ。

この頃、使わなくなったが、レンジもないのに、これから寒いのに、温める系の仲間が減るのはさびしい。赤外線の赤い光が消えていく。これが最後の明かりか。

微妙な温かさと固さの食パンを食べながら、確かめたい衝動を抑える。ホントに確かめたいのか、受けねらいで確かめるのか。けっこう重たいテーマだ。後者なら、生活が不自然になる。

それはイヤだ。次にダイヤルを回すときに確かめよう。確かめるほどのことではないが、それはそれで不自然だけど、考えてみると、自然な行動なんてそんなにないかもしれない。

なにかしら、他人の目線がある。

日記を書いてるときも、しかり。問題はそれに振り回されないで、かと言って、前のめりになり過ぎないよう自覚・自制することだろう。

とにかくトースターが壊れてないことを祈っております、チーン。

9日「制服」

を、Bさんがもう一枚、店長に「欲しい」と頼んでいた。とりあえず、辞めないみたい。

よかった。店長も怒涛のベテラン離脱に頭を抱えていたから、ショックの連続だったから、頼りになるベテランが残留して安心しているだろう。

「やっぱりいーらない」なんて、鬼のような戯れはしないと思う。

その話を聞いてボクも素直に100%喜べばいいのだが、あんだけ「残った方」がいいと言っときながら、少し面白くなかった。なぜだろう。

「みんないなくなった方が楽しそうだ」。そういう悪ふざけをして困っている人を見て「ウキキッ」とはしゃぎ出しそうな心根がある。つまり「人の不幸は」という奴だろう。

それだけか。やはり、自分がいなくなって、なんの影響もなく、むしろ前向きな方向に店が他人行儀に進んでいくのが面白くないのかもしれない。

あるいは、辞める人間から見たら、辞める人間は仲間で、辞めない人間は仲間ではないからか。仲間が1人減ってさびしいというより、いじけているのかもしれない。

Bさんにとって辞めない選択がベターだし、店長もたすかる。ボクだって店が安定するのだから、後ろ髪を引かれずに万々歳のはずだが。

甘ったれた意地の悪い「駄々」に振り回されるな。

擦り切れた制服で仕事をしている。これは辞めるときに廃棄だろう。もう一枚、予備の制服がある。洗濯してクリーニングしてBさんに引き継いでもらおう。

確実にいらないだろうから、そのまま倉庫だろう。お互い違う方向に進んでいる。それがやっぱり、さびしい。Bさんは何年も制服を着てここで仕事をするだろう。この店とか働くとか置いといて、お元気でいてほしい。

ボクの制服をいつか誰かが着るのだろうか。そのバトンタッチを想像するのも悪くない。お、成長したか。

10日「常識を言う人」

正しければ、その通り。なぜヒステリっくに声を荒げるのか。

それに、相手が弱い相手。それって正しくないのでは?と思えてくる。二人ほどいたが、脅して相手を支配してるだけと気づいていない。内省しない怖さ。常識に支配されてるのは当人かもしれない。

奥さんを連れた初老のおじさん。6本の入りのビールを二つ、それと総菜を買って温める。奥さんに袋詰めをさせる。当人は持ってきた商品券が使えるかだけ気になって、奥さんに目もくれない。お会計を済ませたあと、いきなり声をお荒げになる。

「なんで温かいものとビールを一緒の袋に入れるんだよ」

奥さんに怒鳴りつける。奥さんは言わるまま。「そんなこと常識だろ」を連発する若翁。前時代の亭主関白とはこういう人か。奥さんはうつむいて袋を入れ直している。確かに温かいものと冷たいものは分けた方がとは思うが、アイスじゃないし、ビールなんて少しぐらい。それより、

温かいものと冷たいものを分けるのは「常識」なのか。ただの「価値観」では。

言い返せない相手に自分の「価値観」を常識という社会的同意をバックに振りかざしている。聞いている全員が不愉快になる人。特に女性。接客してた東南アジアの女性も苦笑いしている。ちなみに彼女はダンナを尻に引いている。

子供を連れた女性。とにかく謝らせようとしている。「謝りなさい」を子供に連発。いやいや聞いている子供。「謝ってから、ありがとうと言いなさい」。どんな状況か分からないが、そうすれば「うまくいくから」と教えている。小学校のスローガンを地で行っている。

「うまくいく」って発想が打算的で素敵ですね。

子供もいい加減うるさいし、おやつを買ってもらえないから、こっちには聞こえないが、ママの追求がおわったみたいだから、しぶしぶ謝ったのだろう。

「レ点」にみたいに吊り上がった少年の眉毛が、無念さを物語っていた。

正しいと言っている人は、なんでみんな不機嫌なんだろう。袋詰めの奥さんも、謝らされた子供も正しさの被害者。でも、もう少しだけ考えると、正しさ、おそらく知らぬ間に埋め込まれて正しさに振り回している彼、彼女も被害者だろうな。

11日「上着を忘れる」

明日のために、帰り道を振りかえって上着を取りに帰る。

そんなに待たない踏切が、今日は「開かずの踏切」と化して、待たされている。背後で児童館にトイレを借りに行こうとする子供に、ママが「会員じゃないからダメ」とたしなめている。「お金払えばいいじゃん」と、あきれている子供。

と、現代っ子の「お金で解決発想」を微笑ましく見ていると、なんとなく寒く感じる。11月の半ばだからな、昼間は暖かくても夜は、

「あっ、着てない上着」。

踏切の「→」がもう一本、灯る。どうする。戻るのか。ここからだと、ほとんど「二度目の通勤」するのと変わらない。思い出して損した。

予報だとしばらく暖かいとか言ってたのを、誰かが言ってたのを聞いたな。「しかし」と、手に持った傘を見ながら思う。その予報が外れて一人、雨靴を履いて傘を持っているのは誰か。予報といっても昨日の朝の予報だけど。

朝は、寒いよな……おりゃっ。

振り返り、待たされている人のイライラをかき分けて来た道を戻る。「ここであきらめて迂回するのか」と待っている人は目の前の男の「勇断」に拍手を送らないが驚いて見ている。いや、上着を忘れたから取り行くだけです。

明日の自分ためという大義のために胸を張って歩く。「明日の朝、暖かかったら損だな」なんて微塵も思っていない。微塵も。さ、寒いに決まってる。

店に着く。10代の子が50のおばさんに、夜勤の時給について根掘り葉掘り聞いている。この子だけなのか、若い子のお金・お金の心配ばかり聞こえてくる。「今からそんなに心配しても」と、心配になる。

着て来た上着を忘れる男は、自分の心配をしよう。歩いて歩いて、暑くなって上着を着ないで帰る。明日のプレゼントが役に立ってくれるといいな。

PS

おかげさんで、暖かったです。今日は忘れません。

12日「確認力」

確認する力-思い込み力=そこつ力。

近くにある銭湯のロッカーのカギは100円入れないとカギが抜けない。改めて何のためか考えると、少し遠い銭湯に

「ロッカーのカギは持ち帰らないでください」

と張り紙がデカデカと書いてあるので、持って帰る人が多いから、100円のデポジット(保証金、人質ならぬ金質)を取るということか。

間違えって持ち帰ったのかな、と思ったが、考えてみると、カギを開けないとロッカーが開かないわけだから、カギを開けて、中身を出して、閉めて、カギを抜いて持ち帰ってるから確信犯じゃないか。

なんのために。カギマニア?

ああ、そうか。仮に「23」番のロッカーのカギが紛失したとする。仕方ないから、銭湯の人は「23」のスペアを作って「23」のロッカーを使えるようになる。数日後、なにも知らない人が「23」のロッカーを使う。

それを風呂上りでくつろいだフリした、カギの窃盗犯が横目で見ている。「23」番ユーザーがなにも知らないでサウナでデトックスしているすきに、窃盗犯はポケットから同じ「23」のカギを取り出してうんぬん。カギの本体を変えればいいけど、どうだろう。

そもそも銭湯になにを持っていくのか。なにを盗みに行くのか。

近くの銭湯に行く。小銭入れが重いから、「ま、100円は入ってるだろう」と中身を確認しないでロッカーの前に立つ。はい、10円と5円、と1円しかありません。

なんで来る前に確認しなかったんだ。もう、遅い。往生際悪く、10円をかき集めて両替……7枚しかない、じゃ5円と1円を組み合わせて……あきらめよう。

「あるはず」で、あった試しがそんなにないのに、なぜ確認しない。

先週は確認しました。100円ないから、1000円を両替してもらった。だから、今週も両替じゃ、目を付けられるかもしれない、という恐れから「あるはず」の思い込みを、やや意図的に強化したのかもしれない。

回数券1枚(使って0枚)と100円すら入ってない小銭入れに、カギはいらねえ。

と、カギがささったロッカーを間違って開けないように、扉を半開きにして風呂場に行く。半開きの扉はトイレに行っているように見えなくもないし、脱衣所に誰かしらいるから、その人が使ってるロッカーに見えなくもない。

風呂のあいだも、気になって仕方ないわけではない。これで少なくとも3度目かあ。学習しないなあ。いっそ盗まれちまえと、投げやりになる。でも、

いたずらで服を投げ捨てられたら困るな。

100円も入ってない小銭入れに怒った窃盗犯が腹いせに……ありうるな。そうなったらどうしよ。すっ裸で帰るか。こっちが犯罪者になっちゃうな。ぜんぜん、風呂でくつろげないぞ。

風呂場から出ると、半開きの扉が半開きのままになっている。隣で着替えてる人がいて、その人が使ってるロッカーに、見えない。ロッカーを閉め忘れて帰っただけに見える。

なにごともなかったけど、なにかあったかもしれない。「小銭入れを確認」なんて一瞬だろう。その一瞬のサボりが、こんなに尾を引くということを、なにもなかったからなにも学ばないだろう。

すっ裸で逮捕されないとダメかもね。

13日「味噌汁の味噌」

デカいカップに入った味噌か、インスタントか。かたや多すぎるし、かたや寂しすぎる。

スーパーはカップに入った味噌、袋もあるけど、多すぎる。引っ越すとき荷物になる。市販の味噌に思い入れはないから、捨てるか、捨てるのは忍びないから、最後は不自然な怒涛の味噌ライフになる。ドロドロの味噌汁とか喉に詰まりそうだ。やめとこう。

インスタントだと、寂しい、侘しい。引っ越しが近づいて片付いた部屋、それだけで哀愁が漂うのに、ふりかけのような具をパラパラ入れて、味噌が入った小袋を絞り出す。ふりかけの具と固形の出汁だと思うが、それがお椀にカサカサ落ちるときの音、味噌も手に付くだろう。しばし、無言で佇むかもしれない。そして、ポツリと座って、すする。

茶道ならぬ、味噌道だな。

「たくあんを買うお店がもしかしたら」と、出かける。いろんな地方の珍しい食品を売っているからだ。健康食品とお土産さんが合体したような不思議なお店。

「黒ニンニク」を前面に押し出していて警戒してたが、お米を精米してくれるし、なにより「たくあん」がうまいから利用させてもらっている。

そういえば、黒ニンニクが知らぬ間に消えて、地方の名物色が強くなっていた。試食のカンターも出来て、お客さんが増えたようだ。

お店にいくと、それらしい小袋の入りの「味噌」の商品がある。やった。カニ入り味噌に、下仁田ネギ入り味噌、地方の、味噌コーナーになるから味噌なんだろけど、「いぶりがっこ」的な名産の名前で忘れたけど、とにかく「味噌」。

ヘルシーフードに誘われたお年寄りたちが次々とやってきて、狭い味噌コーナーを迂回してまた戻る。同じおばあちゃんのために2週グルグル回るときもある。じいちゃん、ばあちゃんの、ヘルシーフードを選ぶ目は真剣そのものだ。

「ホントに、これで味噌汁作れるか」

どう見ても、ご飯のおかずじゃないの?直前に現れたばあちゃんが、まさに目を付けていた下仁田ネギ味噌のユーザーで「ご飯にかけて食べてます」と、カウンターで漬け物を試食しながらしみじみ語っている。

「なんとかなるだろう」は、なんともならない、ということを忘れるのは、それなりになんとかしてきたからだ。ということで、下仁田ネギ味噌をもってカウンターへ。

レジのお姉さんにすがるように「味噌汁もいけますよね」と聞くが「味噌汁?うーん、甘すぎるかもしれない」。ハッキリ、「裏面の使用方法を読んでください」と、言ってください。

さっそく試す。確かに成分表に「砂糖」とある。どれどれ。正当な味噌汁と思うと違うのだろうけど、変わった「味噌味の飲み物」と思えば、普通にうまい。とはいえ、日常食かというと……じゃ、ふりだしに戻って……

「味噌難民」には戻りたくない。

大きくて余るより、インスタントで帳尻を合わせるより、ぜんぜん、おいしい生活だと思いますけどね。ただ、ネギがちょっと辛い。

14日「豆腐問答」

関係ないが「クエスションマーク」じゃなくて、クエス「チョン」マークだった。

問1、豆腐屋さんに行かなくて、スーパーにした理由は?

答1、空見て下さいよ、雨ふりそうじゃないですか。そこそこ遠いでしょ、豆腐屋さん。途中、雨降ったらどうすんすか。洗濯物も乾かないから出しっぱで、雨が降ったらそれこそ手も足も出ないっすよ。しかも、こっちとら下駄でっせ。

問2、傘を持って、洗濯物をしまって、靴を履いたらどうですか?

答2、そこまでして……

問3、そこまでして?

答3、あ、その手があったかっ。

問4、というか、なんでさっさとスーパーに行かないの?

答4、え?

問5、豆腐屋にこだわる理由は?

答5、昔ながらの手作りで、なつかしい、味だから。

問6、生まれたときからスーパーでは?

答6、……はい。そういえば、ラッパ拭いた移動販売の豆腐屋さんが来たとき「高いからダメ」と怒られたな。高くても食べ  たかったな、手作り豆腐。

問7、だから「豆腐屋さん」。つまり、スーパーは「安いからダメ」?

答7、ダメとかじゃなくて、応援したいというか。そこまで高くないし。

問8、スーパーとの値段差は?

答8、スーパーは100円だから、豆腐屋さんは220円に値上げったから、2倍弱。

問9、高。

答9、高くないでしょ。

問10、それはそうと、事情が事情なんだから、なんでさっさとスーパーに行かないの?

答10、そこっすね。なんでっすかね。

なんでっすかね。おいしいのは確かですからね。それだけじゃない。「豆腐は豆腐屋さん、パンはパン屋さん、野菜は八百屋さん、しかも近所のや・お・〇」。

少し、頭でっかちな奴だったか。

それも、この頃は妥協してスーパーで済ますことが多くなった。その妥協がイヤだったのかも。それがイヤじゃなくなったのはなぜだろう。

そのとき、そのときの気持ちで動いた方が楽しいから。

「こうだ」と決めた思い込みに振り回されていた。スーパーの豆腐を食べる。妥協した自分、水っぽい豆腐を味わう。次、晴れてたら豆腐屋さんにしようかな。

あるいは、スーパーに迷わず行こう。

PS

とはいえ「?(クエスチョンマーク)」は大事よ。迷いは大事なのよ。迷いすぎもまた「?(クエスチョンマーク)」ね。

15日「外れた天気予報」

雨が止む時間もありますが、ザっと降ることもあるので油断しないでください。

出かける気がしない予報だ。ボクみたいな「早とちらー」には、耳が痛い予報だ。雨なら雨がずっと降っていてほしい。ということで、籠るか。

来週から気温がグッと下がるので毛布を出したいことこが、この天気じゃあきらめるか。気温が下がる日まで仕事だから、干せない。

いきなり毛布を使うと、夏の間にいろんな生き物のコロニーとかした毛布は、軽いアレルギー反応を起こす。鼻水とか、足のデキモノとか、手が痒くなる。

この時期、洗濯物にしろ、まったく日が当たらないので夜に干しても同じような気もする。夜にするか。闇夜に毛布。コロニー王国の旗がたなびいている風に見える。

日の光はあまねく降り注いでいるはずだ。直日ではなくても、その恩恵はあるはずだ。

そうこうしていると、空が明るい。晴れてはぜんぜんないが、「え? 毛布干し日和」。念のため雨雲レーダーを見ると、近くに雨雲の影も形もない。しかし、もしものことがある。雨に濡れた毛布はどこにしまう?

毛布だけじゃなくて、部屋中がコロニーの支配下に。

明るいうちに干したい。思い切って毛布を干す。バシバシ叩いて、コロニーの住人を叩き出す。ひっくり返してバシバシ。これで大丈夫だろう。

雨がこわいから30分ほどでしまう。どれほどの効果があったか知らないが、やらないよりマシだろう。風にそよいで空気を含んだ毛布は、干す前より生き生きしている。

よし、銭湯にも行こう。雨雲レーダーで確認して銭湯に向かう。暑すぎず、寒すぎず、ちょっと風がひんやりしたこの時期が、一番気持ちいい「銭湯日和」だ。暑いのはもちろんだけど、寒いすぎても、銭湯まで北風の寒さと、風呂場のドアの開け閉めの冷気で、一喜一憂してしまう。

気持ちよく風呂に入って帰る。寝るときは干した毛布が待っている。あきらめていたが、晴れの予報では味わえないご褒美感を満喫させていただいた。

16日「11月の蚊」

この時期に蚊に刺されると、刺されてもいいけど、起こされると損した気分になる。

季節外れの蚊の羽音。夏と違って、布団にくるまってるから、刺す場所が限られる。つまり、夏だったら、足首あたりが狙い目で、好きなだけチューチュー吸っていたが、今は頭しか出てない。蚊は獲物を見て上空でしばらく旋回している。

今日の獲物はあいかわらずのマスク高山病、ひょっとすると食べすぎで血圧が上がったか、血糖値が上がったか、1000円-50円が9950円という答えを出した高1の女の子からもらった片頭痛か、とにかく頭が痛いから寝たい。

さっさと吸ってちょうだい。

と、白旗を上げている。実際、指先を布団から少し出している。ワナじゃないからね。寒い部屋と乾燥した空気。夏の蚊の羽音と違ってイライラはなく、過ぎ去った季節を忍ばせてくれる。なんというか、余裕があると寛容になれるのね。この時期に間違って生まれた迷い蚊。

本能的に「なんか違う」と感じているだろう。

薬指の先っぽが痒い。すでに刺されていたか。さっき聞いた羽音は「ごちそうさま」サウンドだったか。だったら上空を迂回しなくても。ああ、微妙な痒さだから、最初の「一吸い」で邪魔が入ったか。食べないなら食べない方が楽だからなあ。

起きたついでトイレに行く。寝転がって蚊の羽音に耳を澄ませても、聞こえてこない。寒いから、なんども突撃して吸う気にならないのかも。頭痛持ちの血を吸って腹でも壊したか。

朝まで何も聞こえない。どこも痒くない。因果な時期に生まれた蚊はどこへ。またのお越しをお待ちはしておりません。

17日「体調がすぐれない」

ときの、すぐれた効用。いろんなことがどっちでも良くなる。

それより、悪化させないよう過去・現在・未来の思いわずらいを切り捨てていく。そんなことより、今、頭が痛いのよ。おわったことのウダウダも、只今のモヤモヤも、あとさきのビクビクもかまってられない。

リアルな痛みに比べれば、妄想なんて屁みたいなものだと気づく。

今日の朝、前にもきた酔っ払いが現れる。お連れの女性に人生訓を垂れている。女性はめんどうくさいこと、この上ない感じであしらっているが、酔っ払いはしつこく付きまとう。女性も無視して別れればいいのに、距離感を変えない。腐れ縁とはこういうことか。

にしても、朝からこの二人の出現はシンドイ。「騒いだら警察」と身構えたくても、こっちは頭が痛い。かまってられない。ときどき酔っ払いの声のボリュームが上がって、文字通り頭に来るが、その他は、基本ほったらかしで忘れている。あれ、いたの。そして、

あれ?いなくなってる。

今日は大人しく帰ったようだ。あ、そう。どっちでもいい。頭の痛みが消えたり現れたり。どっちつかずの頭痛も、だんだんどっちでも良くなる。治るときは治るからほっとこう。

目の前のことを、淡々とこなす。これはこれで生きやすいな。普段、いかに自意識に振り回されていたか分かる。四の五の言わずに、やればいい。どっちにしろ、そんな変わらない。

贅沢言わないと、楽でっせ。

治ったら元に戻るんだろうけど、せめて忘れないようにしたい。ただ、贅沢言えばって、贅沢しないと言っといてなんだけど、もっと頭と体を使って楽しいことをしたい。

ありがたいことに、シフトを埋める後継者が来てくれた。少し人が余っているぐらい。その分、ダラダラできるけど、頭も体も使わない。それが少し物足りないのかもしれない。

ベーシックの部分が分かったから、焦らずに、地に足が付いた贅沢を探したい。

18日「コーヒーマシン」

の量が微妙に少ない、というご意見を少し前から伺っていたが、それらしい答えがあった。

から納得していた。「少ないんじゃない?」という人の共通点が「濃い」というボタンを押していることに気づく。なるほど。「薄いコーヒー」と「普通」と「濃いコーヒー」が選べるマシンで「濃い」を押していたということは、

「お湯の量を減らしてるんですよ、きっと」。

だから量が少ない。それしかない。同じ値段で「濃い」味にするのには、豆の量を増やすと採算が取れないから、お湯の量を減らす。そもそも、同じ値段で豆の量を増えるわけがない。

そうですよね。

お客さんも同じ値段で「濃い」を選択したやましさからか、納得する。ここ数日で二回ほど、得意げに説明した。今日も「すいません」と声がかかる。「量が少な」と言いおわる前に「濃い味?」と問いかける。「そうだけど」。

得意げに説明する。「いや、いつも買ってるんだけど、明らかに少ないような」。「え?」。いつも飲んでないので分からない。もう一度、入れる。微妙に増えている。マシンの機嫌?

「そういえば」とBさんが首を傾ける。「コーヒー豆を挽いたカスを入れる受け皿の水がいつもより多い」と実物を持ってくる。言われてみれば。言われてみれば数日前も言っていたような。ボクの説明でBさんも納得していた。「そうだよね、同じ値段で豆が増えるわけ」。

今回は常連さんの意見。もう一度、検討しよう。同じ値段で大盤振る舞いしている可能性を考える。それなのに少ない。受け皿の水が多い。もしかして、ドリップするとき、ドリップカップとドリップの紙の間に隙間が出きているのでは?

業者に問い合わせして、店長がその場でリンスの指示を受ける。「おおっ」。やはり、その通りらしい。「リンスの水がドリップカップと紙の隙間からピューって出たきた」。

ドリップカップだけだと思ったら、業者さんがマシンの内臓本体を持ってくる。カップのパッキンの劣化だと思ったら、違うらしい。

「消耗品です」。

なるほど。一日5~60杯。週で350、月で1000、年で12000杯。そりゃガタがきますわな。全体が緩んでいたんだろう。 ここ数日のお客さんには少し損をさせてしまったか。自分が普段、飲んでいれば気づいただろうに。

よく分からないこと、もっともらしい理屈で取りつくろうのは間違いの素だな。

19日「送別会」

をしたいとメールを頂いた。

昨日の夜9時ごろ、引き出しの中の携帯が「ウーン」とバイブ音を立てた。寝転がって寝る気まんまんだったから、明日で「いいや」とスルーした。時間的に広告はないだろうから、まさか「送別会」とか開きたいとかメールじゃないだろうな、と少しハラハラした。

その類いの、催しは苦手です。まして、自分が真ん中にいるなんて。

朝、起きてメールを見る。その通り「送別会」をしたいとのこと。悪い予感じゃないけど、あまり都合の良くない予感は、だいたい当たる。あとは、どう備えるか。

関係ないが、昨日の夜「ウーン」に気づいてよかった。基本、充電するときまで携帯を見ないから、充電して一週間は携帯を見ない。充電の直後だったら丸一週間、気づかない。忘れてて10日スルーなんてのも、ままある。

メールに気づかなかったら、翌日のバイト先が変な空気になって、「なんでだろ?」と、張本人が原因に気づかない珍現象が起こったはずだ。2、3日は「ボクあるある」だから、許してくれるが、一週間も音沙汰なしだと、送別会どころか「村八分」になっただろう。

送別会は苦手と伝えて、食事会なら「いいね」と伝えた。そのようになったが、まだ一か月先、送別したくて、うずうずしているのか。しかも、よりによってクリスマス。参加する全員がその日シフト、つまりひとり者。カップルが去った時間の場末のレストランで、しんみり&ヤケのみ送別会。

ちょっとした地下組織か。

ま、ボクにふさわしいけど。ただ、シフトがキツイし、場所もバイト近くと聞いていたが、変更になりそうだ。バス移動の間の気まずい手持ち無沙汰を考えると、日を改めるなり、忘年会に組み込むなりにした方が良さそうだ。

20日「どら焼き」

を彼女はそこに置いた。

小さいカフェ屋。テイクアウトでホットカフェラテとサンドイッチを頼む。ランチタイムなのでコーヒーが半額になる。なんてありがたいサービスだ。

品のいい、メガネからコンタクトに変えて、ダンナがイタリアンシェフのマダムが、手際よくカフェラテをマシーンにセットする。

エアコンの風を真正面に浴びながら待つ。「ど」が付くほど寒い。一昨日との気温差は余裕で15℃はあるだろう。暖房の風で気持ちよく暖を取りながら、目の前の「かき氷メニュー」で少しヒンヤリする。

と、マダムがコーヒーマシンの焙煎の間に、奥のキッチンにおもむろに向かう。サンドイッチは目の前にケースになるけど。なんだろ?今まで見たことない行動だ。

マダムはレジ横になにか置く。「どら焼き」だ。なんでどら焼きが現れた?こ、これは、いわゆる「試供品」というやつか。つまり、ただでどら焼きがもらえて、食べられるのか。

薄明りのカウンター。どら焼きが浮き上がっている。どら焼きに気づいてないフリをするが「どうぞどうぞ」と主張している。マダムはその間、どら焼きの説明はいっさいしない。なんだ、この宙に浮かされた感じ、

「おあずけ」された感じ。

ありがたいが、このお店はこれでおわりにしようと思っていた。お値段的に、ボクはターゲットではないだろう。それが「どら焼き」で揺らぐ。

これ貰っちゃったら、また来ないと。サービスで得をするのは、つまり……。ま、いいか。嬉しい悲鳴というやつね。マダムが紙袋にラテとサンドイッチを入れる。そして、どら

「お待たせしました」。

「え?」。マダムは紙袋を渡す。「あのどら焼き、忘れてますけど」なんて聞けない。厚かましいというより、そもそも「どら焼き?」と聞き返されるだろう。

なんだったんだ、どら焼き。

目にも止まらぬ早さで袋に入れたか。いや、カンターにあるよな。どら焼きの「ど」の字もマダムから説明がないし。なぜ、なぜ、あのタイミングで

どら焼きを取りに行った?

マダムの素の部分を見たような気がした。昼ご飯かな。ランチの前に気合を入れたのかな。「どら焼き、おいしそうですね」と聞いたら、照れ笑いしてもっとマダムの素の部分が見れそうだ。聞けないけどね。それに

イタリアンシェフのダンナが黙っていないだろう。

帰ろう。どら焼きをもらえる気でいたから、少し空洞ができている。容赦なくそこを冷気が通過していく。あいかわらず、食べ物にいやしい人だなあ。

MEMO

寒すぎて、ほぼ布団の中。夕方、焼きそばのために起きる。生きるための焼きそばなのか、焼きそばのために生きてるのか。

21日「鍋焼きうどん」

とパンを買ったお値段を見て目を疑った。

腹の調子が悪いのを押してチーズケパプを食べようとした。昼にダル(豆)カレーを食べに行く予定も、雨がうらめしくしシトシト降っていてキャンセル。午前中で止むって言ってたじゃんか。

昼は焼きそばでお茶を濁して、午後に止むのを待つか。そして、雨が止む。都会ではめったに味わえない、雨上がりの清らかな空気を感じながら、さあ、チーズケパプをいただこう。

あれ?お腹がガスでふくれてる?

いま思うと、さつまいも入りの食パンが原因だと思い当たるふしがあるが、その時は原因不明のお腹の違和感に、思わず進路をカレー屋さんから、スーパーの冷凍食品売り場に向ける。

銀紙の器に入った「冷凍鍋焼きうどん」を探したが、ない。みんな袋入り、大容量、そして、電子レンジ調理。冷凍食品のメインターゲットは家族なんだろうな。

コンビニに向かう。あるのはもちろん、知っている。売る方から食べる方。なんとなくテンションが上がる。バイトしてるときは景色と化していた商品が、キラキラこちらにアピールしている。

あった鍋焼き、高っ。

400円ぐらいかと思ったら500円、税込み560円。あれ、君、ちょっと前まで398円ぐらいじゃなかったっけ?これが世間の言う物価高か。売る方から買う方になって、そこそこの値上げは黙認してたけど、

まさかおなじみの商品で直撃をくらうとは。

逃げるようにカップラーメン売り場に向かう。大盛りのカップうどんにするか。いや、それじゃチーズケパプの代わりにはならん。予算はケパプ代・750円もあるじゃないか。頭を切り替えて、再び冷凍食品売り場に向かう。

値段を見ないように、鍋焼きうどんを手に取る。

ついでに、これじゃ足りないし、スーパーでお菓子を買うつもりだっし、お気に入りの菓子パンを買おう。よし、鍋焼き食べるぞ。ショックから立ち直って、ウキウキした気分でレジに向かう。

「840円になります」。

えー。チーズケパプより高いじゃん。しかも、100円近く。あははっ。物価高、こわ。なんで?なんで?560円の鍋焼きと280円の菓子パンだから、足して840円。あははっ、間違いない。間違い……ない、

ケパプにしときゃ良かった。

冷凍鍋焼きうどんと菓子パンを袋に入れないで持って帰る。凍った鍋焼きうどんが入った銀紙が冷たい。「イタタっ」。油断すると指に張りつく。それより、財布が痛い。

なかなか頭が切り替わらない。このまま物価高が続けば、鍋焼きうどんは何円になっちまうんだ。鍋焼きじゃない。このお気に入りの菓子パンだって。イタタ、また張りついた。

ぐつぐつ煮える鍋焼きうどん。普通に、うまい。でも、560円か。分かってたら、自分で作ったな。あるいは、おならでガスを抜いてチーズケパプを食べに行ったな。食べおわる。ようやくショックが収まっている。とはいえ、明日、ダルカレー食べよ。

財布に優しくない生活だな。

22日「オルゴール」

のような、せつないBGMが流れていた。

カレー屋さん。ランチ時間が始まった直後に行って、テレビも付いていない、オーナーの着替えもおわってない、すなわち、まるで準備ができていなかった。

じゃ、このオルゴールメロディーはなんだ。

たぶん、昨日のラストオーダーを知らせる「調べ」だったのだろう。図書館もそろそろ帰ってほしいとき流れる。その日の営業をおえる「調べ」。みんな寝起きみたいな顔している。

このBGM、何回か聞いたことあるな。でも今日は、少し腹の具合が悪いのに「強行カレー」、いつもと違ってBGMが身に染みる。ちょっとした「ハライタ」なんて一日で治ったのに。

いろいろ、若いころと違ってきた。

そりゃ40過ぎですからね。体のピークは25歳だから、だいぶそれから日が経っている。呑気に食べられなくなっていく、食べる量も減っていく、食い意地が張れなくなっていく。

頭は20代でも、胃は40代。ギャップを埋める時期か。

「ナンのおかわり」とか当たり前だったな。ハーフライスなんかも食べたな。いまの胃の状態で食べたら、ヤケ食いだよな。もう、ヤケを起こす気にもならないというね。

オルゴールが優しい「レクイエム」に聞こえて来た。老いた、なあ。ダルカレーがうまいのが救いだった。

23日「人の引っ越しのお手伝い」

をしてる場合ではない。

東南アジアの若夫婦がアパートの契約が切れて路頭に迷いそうだ。お金は稼いでいるので、問題はないようだけど、なかなか本契約まで至らないようだ。

外国人だからだろうな。不動産屋はオッケーでも大家さんがNGとか、「直前で他の人に決まった」とか、これも大家さんNGだろう。

来週の半ばに退去させられる。ゲストハウスとか泊まりながら探せばいいが、なかなか見つからないようだ。ホテル暮らしか。お高いな。難民になる前に決まってほしい。

その間、荷物をどうするということで、「どうすんの?」と聞いたら、バイト先のゴミを入れる倉庫に置くと言う。いやいや、それはちょっと。ゴミがマックスに入ってるときは入らないし、間違って持っていかれたら……

そもそも汚いでしょうが。

行きがかり上、ボクの部屋にとりあえず入れることになる。正確には廊下というか。一週間ぐらいならいいだろう。なにか言われたら部屋に入れればいい。足の踏み場もなくなるが。

これはイイことなのか。「そこまでするのか」と、言われるだろうけど、「そこまでしないのか」と言う言葉を言われたことも聞いたことないのも不思議だ。

テキトーにできることをすればいい。

異国で冬で伴侶を連れて、たいへんだ。同情というより、呑気に「引っ越し先延ばしプレイ」をしている自分が、いかに恵まれてるか思い知る。

このままココを更新できるし、実家に帰れるし、更地に家を建てられる。なんだったら、店長の家に三日ぐらい泊まれるかもしれない。

彼らが断られたアパートだって余裕、ではないが普通に契約できるだろう。

半年近く一緒に働いて、普通にいい子たちだから申し出たわけだけど、ボクが異国で同じ目に遭ったら泣くだろうな。彼らは泣いても国に帰れない。ホント、恵まれている。

で、君の引っ越しはどうした?まだプレイを続けるのかい?

24日「忙しかった夜」

バイト、風呂、読書、9時前に寝るというサイクルが乱れた。

引っ越しの荷物が届かない。ボクのではない。東南アジアの夫婦。7時の予定だが。「彼らは時間にルーズだろう。いや、コッチがうるさすぎるのかも」。長期戦にそなえてトイレに入ったときに、携帯がバイブする。間が悪い。お約束?

荷物を満載した車。話してたのと3倍は違うぞ。せっせとダンナが奥さんの巨大なスーツケースを運ぶ。心臓麻痺を起こしそうな重たさ。「ヒーヒー」言いながら、健気に運ぶ。手伝おうとするが、「大丈夫」と律義に断わる。

冷蔵庫級のスーツケース。

女性の荷物はなんでこう多い。この重たさに耐えられる男が女性と付き合う権利を得るのだろう。ボクには無理そうだ。

ようやく運びおわり、物件が近くにあるので見に行く。奥さんはダンナにねぎらいの言葉をかけないで、「ぶっきらぼう」に立っている。これがこの国の普通なのだろう。

「多いね、荷物」

ニコニコ笑っていたが、ダンナにはあくまでつれない。人前ではそうなのかもしれない。ツンデレと信じたい。これじゃ、ダンナが浮かばれない。

9時になりそうだ。疲れたから寝よう。と、「ウーン」と携帯のバイブが鳴る。引っ越しの続きか。まだあるのか。メールだから違うか。

「送別会」改め「食事会」のお知らせ。

当日、「クリスマスケーキがもらえるから食事会は無理そう」というメール。翌日にしましょうという案内。「了解しました」とメール。少しして。またメール。

「どこで待ち合わせしましょうか」。

駅ビルの店だから「ズバリ店の前でどうでしょう」と返信。難しくない。「OK」というメール。よし、寝るか。またメールが来る。

「25日はもう一人の子がシフトに入ってたので26日にしましょう」。

明後日の話ではない。来月の26日。しかも、明日会う。そんな疑問をおくびに出さないで

「分かりました」。ようやく寝れるか。「ウーン」。なんだろ?

「その店、ランチが3時までなので、〇〇にしましょう」。

「OKです」。メールのバイブ音がようやく止む。時計を見ると10時近くになっている。なにがあっても寝るぞ。「ヒトサマ」と付き合うのは骨が折ヒトサマ。

25日「公園のゴミ箱」

が撤去されていた。ゴミは持ち帰りましょう。

「外からゴミが持ち込まれたため」が、理由のようだ。いまさら気づいたのか。公園から自然に湧いてくるゴミなんてありません。「プラ」と分別するようなゴミもありません。

公園デビューするとき、休日で遊んだときのゴミまではOKだったのだろう。それが明らかな家庭ゴミが増えたからか。そもそも全部、家庭ゴミのような。

花見と縁日のゴミはスゴい。ゴミが溢れているというより、囲まれている。「もう入らねえ」と、誰かがポツンとゴミ箱の外にゴミを置く。そこからモラルが崩れ落ちる。どうすんだろ、来年。ま、見なくて済みそうだけど。見たいような。

問題は「なぜ、いま?」なのだろう。実家の行政はゴミ出しの有料化を始めると宣言。そんな宣言が胸を張ってできる時代になったのか。環境面というより、コストだろう。お金がない。

少し高い「指定ゴミ袋」を買っていたのだから、とっくに有料だったのだけど、「値上げ」をするほど大変になっているということ。

マイバックじゃないけど、「有料化」しないと減らせないのか。その通り、有料化の効果がスゴイです。有料化じゃなくて、環境を考えてる人はどれだけいるかな。

「マイ箸」の普及率を考えよう。きびしい。地球はマルいんだけどな。

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